中川会館
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中川会館(なかがわかいかん)は、京都府京都市中京区西ノ京朱雀町1に本部を置く学校法人立命館の本部施設である。
概要[編集]
- 2008(平成20)年現在、2つの大学、4つの付属高等学校、4つの付属中学校、1つの付属小学校を擁する私立総合学園に成長した立命館が、学園全体の総合的な連携を機能的かつ高度に遂行できる施設として2006(平成18)年に開設した「朱雀キャンパス」に建設した学園本部棟が中川会館である。学園本部機能のほか、専門職大学院(法務研究科、経営管理研究科、公務研究科)、校友会本部などが入る。会館が位置する「朱雀キャンパス」は、京都市中京区西ノ京栂尾町に開設された都市型キャンパスで、中川会館一棟のみで構成されている。JR山陰本線(嵯峨野線)「二条駅」、京都市営地下鉄東西線「二条駅」、京都市営バス「千本三条・朱雀立命館前」下車すぐのところに位置し、阪急電鉄京都線「大宮駅」、京福電気鉄道嵐山本線「四条大宮駅」からも徒歩10分程度の比較的利便性の高い場所に立地している。
- 1階のメモリアルホール、立命館CO-OP朱雀(生協購買部)、4-5階部の大ホール、7階のレストラン(TAWAWA)は、一般にも開放されており、大学関係者でなくても自由に利用可能である。
名称の由来[編集]
- 中川会館の名称は、立命館大学の前身「京都法政学校」を創立した中川小十郎に由来する。現在の中川会館は3代目で、初代中川会館は、1936(昭和11)年に学園創立35周年と中川小十郎の長寿を記念して当時の広小路学舎に建設されたものである。1979(昭和54)年には、広小路学舎から衣笠キャンパスへの大学全面移転事業にともない、2代目の中川会館が衣笠キャンパスに竣工された。2代目会館は、2006(平成18)年9月まで主に学園本部機能を担う管理棟として利用されていたが、今回の3代目中川会館の竣工でその役割を終えた。現在、2代目中川会館は「至徳館」と名称を変更し、キャンパスインフォメーションセンター、会議室、生協購買部などが入る複合施設として機能している。
- 朱雀キャンパスの名称は、平安時代の都・平安京の朱雀大路(千本通)に面し、周囲には朱雀院などの遺構があることから命名された。また明治以降の学区の名称にも「朱雀」が使われたことや、現在の「朱雀第一学区」内に位置することもあげられる。
施設特徴[編集]
- 近代京都建築を手本に設計され、外壁には輸入英国製煉瓦、屋根部分は緑青銅版、白壁部分はテラコッタ、建物土台部分には御影石が使用されている。また建物正面(東側)と裏側(西側)の壁部分には、白いデザイン陶板が貼られている。陶板のデザインは、建物正面側が立命館の校章が、建物裏側には「Rits(立命館シンボルマーク:商標登録番号: 4393342および4393343)」が彫刻されている。
- 会館正面(千本通側)の建物左上部には、学園コミュニケーションマーク「R」のロゴが2008年4月より掲示されている。それ以前はシンボルマーク「Rits」が掲示されていたが改修された。
- 会館南東部の屋上には、会館のシンボルとして「塔屋」が設けられている。塔の四面には、工芸ガラスを利用してデザインされた四神の図柄がはめ込まれており、北面に玄武、南面に朱雀、東面に青龍、西面に白虎が描かれ、夜にはこれらがライトアップされる。
- 1階正面玄関を入ると、創立者・中川小十郎の胸像に迎えられる。胸像の背後には、創立以来立命館学園を援助するとともに、学園の精神と名称を与えたことなどから学園の「学祖」として敬仰される西園寺公望公が揮毫した「立命館」の扁額のレプリカが掲げられている。現在、オリジナルの扁額は総長室に飾られているが、これは1905(明治38)年、京都法政学校が「立命館」の名称を継承することを許した西園寺公望から寄贈されたもので、「立命館」の三文字が力強く書かれている。
- 1階正面奥には「メモリアルホール」と呼ばれる空間があり、立命館学園の発展の歴史を伝えるパネルや映像を見ることができる。ホールには、学祖・西園寺公望の石膏像(直径約41センチ)も飾られている。これは、彫刻家・武石弘三郎が大正時代に手がけた西園寺公望の銅像をもとに複製されたものである。この銅像のオリジナルはもともと東京都神田駿河台の駿河台邸(西園寺邸)にあったが、関東大震災で破損してしまったものである。その後西園寺側近が破片から復元したものが静岡県清水市の清見寺で保管されていたことが判明。立命館がこれをもとに再度複製したものである。西園寺公は偶像崇拝を嫌ったため、完全な立体像としては清見寺のものを除き、これ以外に残っていないとされる。なお、衣笠キャンパス西園寺記念館の1階ホールにも、京都教育大学名誉教授・杉村尚が作製した西園寺公のレリーフ塑像が飾られてあるが、これはほぼ平面に近い。
- 4階、5階部には全472席の大ホールがあり、シンポジウムやイベントに利用されている。
- 各階概要
- 地階:リサーチライブラリー(図書館)
- 1階:メモリアルホール、立命館CO-OP、プロフェッショナルスクール事務室など
- 2階:大学院施設
- 3階:大学院施設
- 4階:教員施設、ホール
- 5階:学園本部施設
- 6階:学園本部施設
- 7会:学園本部施設、レストラン「TAWAWA」
建築概要[編集]
- 建設地:京都市中京区西ノ京栂尾町1番7及び2番10
- 敷地面積: 8,118m²
- 建築面積: 3,954m²
- 延床面積: 27,147m²
- 階数:地下1階、地上7階
- 構造:鉄骨鉄筋コンクリート造
かつてあった「中川会館」[編集]
初代・中川会館[編集]
- 初代中川会館は、1935年に立命館学園創立35周年と学園創設者・中川小十郎の長寿を祝って広小路校地に建設された。もともと立命館大学校友会評議員会は、盛大な記念祝賀会や中川小十郎の銅像建設などを予定していた。これを知った中川から、銅像建設や祝賀会に資金をまわすより、学園の施設を充実してほしいと要望があり、1935年1月12日の校友大会で「中川会館」の建設が決定された。中川会館の建設費用は寄付金によって賄われ、教職員、学生・生徒、学園縁故者の協力で総額73,970円81銭が集まった。会館は1936年5月に着工され、同年12月13日に竣工。鉄筋三階建で陸屋根造り、モルタル吹き付けの白亜の外壁に、腰は人造石洗出で仕上げられた。建坪は85坪・280m²(延300坪・990m²)で、地階は学生控室・食堂にあてられ、存心館に通じる地下通路があった。1階部分は出版部、職員室、学生研究室、2階は学長室、法学部研究室、文学科研究室、予科研究室、高等商業科研究室、3階は総長公室、校友集会室、特別講義室、応接室にあてられた。記念室には久邇宮邦彦王殿下から中川総長に下賜された自作の詩の御書と銅製花瓶、西園寺公望から寄贈された書、白川義則大将寄贈の天壌無窮の銘ある花瓶、総長が明治天皇御聖像に奉献された靖広作の神剣や師の御霊が陳列されたほか尾竹竹坡画伯の風俗画、大理石でできた西園寺公の肖像などが飾られていた。竣工式前日に西園寺公望から送られた「南天」、「山梔子」各30株ずつが会館玄関脇などに植樹された。
二代目・中川会館[編集]
- 二代目の中川会館は、1979年に衣笠キャンパスに竣工。同年、広小路校地から学園本部が移転した。地上4階、地下1階建で総面積は6,179.13m²。総長室や学園本部などが入る学園管理棟として機能した。地階には生協購買部が入居していた。2006年、朱雀キャンパスに新・中川会館が完成すると同時に学園本部機能が移転し、旧中川会館は映像学部の講義などに利用されていた。その後、名称を「至徳館」と変更し、現在に至っている。