Enpedia:削除議論中の全面改稿は結論を出しづらくなる
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一部のエンペディアンが助言や意見などを示したものです。必ずしも全ての利用者に支持されていたり、公式に定められた方針では無いことに注意してください。 |
(初版投稿者:BadEditor)
一管理者としての意見です。
削除議論が行われているまっ最中の記事を「全面的に」改稿するのは、結論を出すのが難しくなるため出来るだけやめてほしいと感じています。
- 最初に削除票がたくさん集まる
- 誰かが全面改稿する
- ポツポツと存続票が集まる(でもまだ削除票のほうが多い)
↑こういう状況は、管理者にとって対処に困ります。
- 「削除」という結論にした場合 → 「なぜ改稿があったのに削除なのか?」と批判されるかもしれない
- 「存続」という結論にした場合 → 「なぜ削除票が多数なのに存続なのか? 投票と民主主義を軽視するのか?」と批判されるかもしれない
- いつまでも結論を出さない場合 → 「なぜこの削除議論は放置されているのか? 管理者の怠慢ではないのか?」と批判されるかもしれない
どう転んでもイチャモン批判が飛んでくる可能性があるわけです。大変メンドーです。
そして、全ての管理者が「面倒なことはやりたくねえや...」と思い始めると、あらゆる議論はドンドン知らんぷりの先送りをされて、「人がいるのに過疎」という謎の状況となり、スラム街のごとく荒廃していきます。間違いないです。[要出典]
そもそも、管理者というのはメンドーな役回りです。削除したら「なんで削除したの?」と言ってくる人がいるし、存続にしたら「なんで削除しないの?」と言ってくる人がいます。その面倒さを回避することが「削除議論」の意義の1つです。「わたし一人で決めたのではなく、みんなの投票の結果がこうだから削除したんですよ~」と返答できれば、なんとまぁ楽なことでしょう。....しかし、その肝心の投票が、上記のように結論を出しづらい中途半端なものになってしまったら.....これは頭痛の種です。[1]
みなさん(時々でいいので)管理者の目線に立って「どうやったら楽に、角が立たずに、議論を〆めやすくなるか?」ということを考えて、協力してもらえませんか?
「記事を改稿するユーザ」への提案[編集]
記事を「全面的に」書き換えるぐらいなら、まったく新しい記事として作成すればよいのではないでしょうか?
削除された後、その跡地に新しい記事を投稿すればいいのではないでしょうか?
「もとの文章の一部を活かして改稿する」というケースなら分かります。しかし、削除議論のまっ最中に「跡形もなく全く違う文章へと書き換える」ことには、どんなメリットがあるのでしょうか?
余談[編集]
アンサイクロペディアでは、NRVなどが貼られている記事を全面的に書き換えて救いだすことを「NTR」と呼んで称賛する文化があります。これに慣れ親しんだユーザからすれば「削除議論中の記事を別物に書き換えるなんて何もおかしくないし、楽しいイベントみたいなもんだよ」と思うかもしれません。
まぁ、それを、全面的に否定はしません。
しかし、アンサイクロペディアというのは、かなり露悪的なユーモアを良しとするサイトです。「NTR」という過激な表現からも、それを伺えます。他人が書いていた記事を、途中から奪って、全く別物へと調教していくことを――異性を奪うことを指す「NTR」という過激なワードで呼び、一種のイベントとして楽しむ――かなり露悪的なユーモアです。
そういうノリが、(2024年)現時点のエンペディアの風土に合っているかというと、筆者は首を傾げざるをえません。
脚注[編集]
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