Enpedia・トーク:削除議論中の全面改稿は結論を出しづらくなる
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- 削除議論中の全面改稿、Wikipediaの場合は合意形成は多数決じゃないという理念によって票数は無視できるので、議論中の改稿による改善で存続票が溜まったら躊躇なく存続終了でゴールすることが多いですね。アンサイのNTRが露悪的なのは書き手のセンスが問われるサイトゆえでしょうか。Wikipediaは検証可能な事を書くだけの単純な場所かつ「記事は誰のモノか」という考えがそもそも禁忌なので、同じ行動でもそこまで波風が立たないのだろうと思われます。まあこれら大手文化圏からの移民が入り混じる当サイトではWikipediaほど一票の価値や書き手の手柄についてドライではなさそうなので、私論の葛藤はよく分かります。--WUc2YE (トーク) 2024-01-10T00:18:08 (JST)
- 私は「全面改稿」ならば、大抵の場合、それ以前に入った票はキッパリ無視して議論リスタート扱いに出来る(削除依頼の理由次第では必ずしもそうとは限らないが)ので、それほど気にならない派です。正直それより、依頼理由が何も解決していないような中途半端な改稿のほうが嫌かも。たまに存続票に鞍替えする人が出て来るけど、問題は解決してないのでそれ以前の削除票も無視できなかったり...と話がややこしくなるので。弄るなら全面的に弄ってほしいです。--Written By 360度 (Talk) 2024-01-10T01:20:28 (JST)
- >合意形成は多数決じゃない
>「全面改稿」ならば、大抵の場合、それ以前に入った票はキッパリ無視して議論リスタート扱いに出来る
私も、おおむねはそう思っています。面倒なのは、そのことを理解せず「多数決=民主主義=正義」と勘違いしている参加者がこの世に1人でもいれば、結審した管理者はイチャモンをつけられる可能性があり、また、そういう心理的リスクがあると管理者たちは結審を避けるようになって「人がいるのに過疎」となりうることです。まぁ、言っても詮無きことですが。。。 - 少し話題が逸れますが、「記事は誰のモノか」については よみもの:バドエディ折々のことば#記事は誰のものか に書いているので、もし気が向いたら読んでいただければと。
- >依頼理由が何も解決していないような中途半端な改稿のほうが嫌かも。
そうですね。これはダルいっすね。。。善意で余計なことをする人が一番ダルい。。。― BadEditor 2024-01-13T10:50:47 (JST)
- >合意形成は多数決じゃない