達磨寺 (奈良県王寺町)
達磨寺(だるまじ)は、奈良県北葛城郡王寺町にある臨済宗南禅寺派の寺院。山号は片岡山。本尊は千手観音、達磨大師像、聖徳太子像。
概要[編集]
王寺駅からほぼ南およそ1キロの地点にある寺院である。寺伝によると613年12月に聖徳太子がこの地で飢えて倒れていた病人に会った際、憐れんで衣食を与え、和歌を詠んで問答をした。しかし、病人はその甲斐も無く翌日に亡くなり、聖徳太子はこの病人を弔った。ところが、その際に築いた墓からやがて屍が消えてしまい、畳んだ衣服のみが残っていたので達磨の化身であることを悟り、達磨塚を築いて達磨の木像を安置したのが起源といわれている。建久年間(1190年から1199年)、笠置の解説が堂宇を修築した際、現在の寺の名前すなわち達磨寺と称した。
室町時代の永享年間(1429年から1441年)、に京都の建仁寺の南峰が中興した。永禄10年(1567年)、大和国の戦国大名である松永久秀の兵火によって焼失するも、天正5年(1577年)に再興された。[[[江戸時代]]には30石の朱印を与えられて寺運も再興した。
およそ8000平方メートルの広い境内に、慶長10年(1605年)に豊臣秀頼の命令を受けた重臣・片桐且元が再興した本堂、方丈、庫裏などがある。本堂の下に達磨大師の墓という円墳の達磨塚があり、また創建の縁起にちなむ問答石、達磨大師の竹の杖から、一夜にして芽を出したという一夜竹などがある。
本尊の達磨坐像は、永享2年(1430年)に室町幕府の第6代征夷大将軍・足利義教の命令で仏師の椿井集慶が造立したもので、京都府八幡市の円福寺や宮城県松島町の達磨と共に日本三達磨として知られている。このほか寺宝として、建治3年(1277年)の銘のある木造聖徳太子坐像、永享7年(1435年)に得巖撰の石造達磨寺中興記嶂などがあり、これらはいずれも国指定の重要文化財となっている。毎年4月11日には達磨会式が行われる。