日高普
日高 普(ひだか ひろし、1923年10月28日 - 2006年10月16日[1])は、マルクス経済学者。法政大学名誉教授。専門は経済原論。宇野学派の重鎮[2]。作家の吉行淳之介、詩人の中村稔、いいだももらと同人誌『世代』を編集・刊行していたことでも知られる[3]。浜田新一の筆名で文芸評論を執筆した[1]。『世代』で由利健の筆名も使用した[4]。映画評論や書評でも知られる[3]。
経歴[編集]
福岡県生まれ[5]。1944年旧制第一高等学校文科丙類卒業[6]。在学中は馬術部を経て、国文学会に所属。遠藤麟一朗、いいだももは一高以来の友人[7]。一高卒業後、入営した高射砲連隊が朝鮮・羅津に出航する前夜に高熱を発し倒れて療養所に収容され[8]、2年間の療養生活を送る[7]。戦後に傷痍軍人療養所から退所[8]。1950年東京大学文学部哲学科卒業[5]。在学中に大内力の『日本資本主義の農業問題』(日本評論社、1948年)を読んで大内ゼミに入り、その研究会で宇野弘蔵を知り、宇野理論の継承者の道を歩む[7]。1951年法政大学経済学部助手、1954年助教授[5]。1960年「マルクス地代論の研究」で経済学博士(法政大学)[9]。1963年教授。法政大学出版局長も務めた[1]。1994年定年退職、名誉教授[10]。
人物[編集]
『世代』『新日本文学』『文学51』『読書新聞』などに浜田新一の筆名で評論も書いた[7][11]。文芸誌『世代』(1946年7月-1953年2月、全17冊)の主要同人の1人だった[4]。1947年9月刊行の第7号から参加し[12]、矢牧一宏、中村稔、飯田桃とともに『世代』の中期(1947年9月-1948年2月、7-10号)、吉行淳之介、橋本一明、小川徹、大野正男とともに『世代』の後期(1950年冬-1953年2月、11-17号)の中心を担った[13]。1953年初めに『文学界』が主催して始まった定期的会合「一二会」(いちにかい)のメンバーだった。同会のメンバーは小説家の吉行淳之介、島尾敏雄、小島信夫、五味康祐、結城信一、近藤啓太郎、安岡章太郎、武田繁太郎、三浦朱門、庄野潤三、評論家の進藤純孝、日野啓三、奥野健男、村松剛、浜田新一(日高普)の計15名だった。1953年末に同会は終わり、「構想の会」と「現代批評の会」に分かれたが[14]、そのどちらにも参加しなかった[15]。一二会とその後の会は「第三の新人」と呼ばれた作家をほぼ包含していた[14]。新日本文学会東京支部委員を務め[16]、花田清輝編集長の依頼で『新日本文学』に年間文芸時評を執筆したが、1954年の花田編集長解任に伴い退会し約半年で中断した。以降は経済学研究に専念した[17]。
地代論の研究で知られ、大内力の『地代と土地所有』(東京大学出版会、1958年)と日高の『地代論研究』(時潮社、1962年)にまとめられた研究は合わせて「大内・日高地代論」と称される[18]。マルクス経済学の教科書『経済学』(岩波書店[岩波全書]、1974年)、『経済原論』(有斐閣[有斐閣選書]、1983年)も執筆した。『経済学』は大内兵衛との共著としてて書き始められたが、諸事情により日高の単著に改められた[2]。
著書[編集]
単著[編集]
- 『地代論研究』(時潮社、1962年、再版1974年)
- 『経済原論 上巻』(時潮社、1963年)
- 『経済原論』(時潮社、1964年、全訂1974年)
- 『商業信用と銀行信用』(青木書店、1966年)
- 『銀行資本の理論』(東京大学出版会、1968年)
- 『商業資本の理論』(時潮社、1972年)
- 『経済学』(岩波書店[岩波全書]、1974年、改訂版1988年)
- 『精神の風通しのために』(創樹社、1972年、新装版1985年)
- 『資本の流通過程』(東京大学出版会、1977年)
- 『社会科学入門――社会の仕組みと現実の見方・考え方』(有斐閣[有斐閣新書]、1980年)
- 『再生産表式論』(有斐閣、1981年)
- 『経済原論1』(法政大学通信教育部、1982年)
- 『経済原論』(有斐閣[有斐閣選書]、1983年)
- 『出発点としての崩壊――苦沙弥先生の悪口』(創樹社、1983年)
- 『資本蓄積と景気循環』(法政大学出版局、1987年)
- 『日本経済のトポス――文化史的考察』(青土社、1987年)
- 『本にまたがった旅』(創樹社、1992年)
- 『マルクスの夢の行方』(青土社、1994年)
- 『本をまくらに本の夢』(社会評論社、1996年)
- 『窓をひらく読書――日高普書評集』(社会評論社、2001年)
- 『精神の風通しのために――日高普著作集』(中村稔編、青土社、2011年)
共著[編集]
- 『日本のマルクス経済学――その歴史と論理(上・下)』(林健久、桜井毅、渡辺寛、降旗節雄、鈴木博共著、青木書店、1967-68年)
- 『経済学』(平田喜彦、粕谷信次共著、法政大学通信教育部[法政大学通信教育部教材]、1976年)
- 『短文・小論文の書き方――大学生の文章鍛練法』(宇野義方、西原春夫、蓮見音彦共著、有斐閣[有斐閣新書]、1978年)
編著[編集]
訳書[編集]
出典[編集]
- ↑ a b c デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「日高普」の解説 コトバンク
- ↑ a b 高嶋裕一「Ricardo 貿易論と価値法則 ―諸学派の交差路としてのRicardo 経済学批判―(PDF)」『岩手県立大学総合政策学会 Working Papers Series』第164号、2023年12月
- ↑ a b 伊藤誠『『資本論』と現代世界――マルクス理論家の追憶から』青土社、2023年、60頁
- ↑ a b 紅野敏郎「世代」、日本近代文学館編『日本近代文学大事典 第5巻 新聞・雑誌』講談社、1977年、230-231頁
- ↑ a b c 日高普『地代論研究』時潮社、1962年
- ↑ 中村祐三「詩人・遠藤麟一朗の死」、遠藤麟一朗他著『墓一つづつたまはれと言へ――遠藤麟一朗遺稿と追憶』青土社、1979年、411頁
- ↑ a b c d 粕谷一希『二十歳にして心朽ちたり』新潮社、1980年、160-163頁
- ↑ a b いいだもも『昭和史再考』創樹社、1979年、89-90頁
- ↑ CiNii 博士論文
- ↑ 窓をひらく読書―日高普書評集 紀伊國屋書店
- ↑ 中村稔「小詩集 いいだ・もも詩抄」『ユリイカ』第8巻第3号、1976年3月
- ↑ いいだもも『反現代文学――いいだもも対論集』現代書林、1979年、282-283頁
- ↑ いいだもも『モダン日本の原思想』七曜社、1963年、262-263頁
- ↑ a b 川嶋至「第三の新人」、日本近代文学館編『日本近代文学大事典 第4巻 事項』講談社、1977年、265頁
- ↑ 進藤純孝『文壇私記』集英社、1977年、68頁
- ↑ 窪田精『文学運動のなかで――戦後民主主義文学私記』光和堂、1978年、354-355頁
- ↑ いいだもも「大批判の文学を、と小声で――30周年記念集会シンポジウム司会者として」『新日本文学』第31巻第7号(通巻347号)、1976年7月
- ↑ 勝村務「地代論研究の問題群」『東京大学経済学研究』No.40、1998年2月