庄野潤三
ナビゲーションに移動
検索に移動
庄野潤三(しょうの じゅんぞう、1921年2月9日ー2009年9月21日)は、作家。第三の新人の一人。
人物[編集]
大阪府東成郡住吉村(現・大阪市)生まれ。父は帝塚山学院初代院長の庄野貞一。兄に児童文学作家、随筆家、帝塚山学院院長の庄野英二、弟にエッセイストの庄野至がいる。九州帝国大学法文学部卒。1951年朝日放送に入社。1953年「恋文」「喪服」で芥川賞候補となる。四度目の候補となった「プールサイド小景」で1954年、芥川賞受賞。1960年『静物』で新潮社文学賞受賞。1965年『夕べの雲』で読売文学賞を受賞。69年『紺野機業場』で芸術選奨文部大臣賞受賞。71年『絵合せ』で野間文芸賞受賞。
1972年『明夫と良二』で毎日出版文化賞、赤い鳥文学賞受賞。同年、日本藝術院賞受賞、日本藝術院会員。
私小説的な作風で、庄野家の日常を描いた作風で毎年新刊を出していた。英国文学に親炙、特にチャールズ・ラムを愛好し、『エリア随筆』を扱った『陽気なクラウン・オフィス・ロウ』などを書いた。ほかに「ザボンの花」「ガンビア滞在記」などがある。