泉穴師神社
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泉穴師神社(いずみあなしじんじゃ)とは、大阪府泉大津市豊中町1-1-1に存在する神社である。祭神は天忍穂耳命ほか。
概要[編集]
延喜式内社で、和泉五大社の1つに数えられる。奈良時代の天平3年(731年)に疫病が流行したので、聖武天皇の勅命によりこの神社で大きな御祓いが執り行われた。創建に関しては記録にないが、つまりそれより前には存在していたことになる。推定だが、天武天皇の頃か、神功皇后の頃ではないかと見られている。霊亀2年(716年)2月、河内国の大鳥・和泉・日根の3郡を割いて和泉監の管轄下に入れた際、当社を含む和泉の5社の分霊を集め、5社総社を府中に置いた。以後、平安時代まで天皇家の厚い崇敬を受けて繁栄した。
織田政権時代にも織田信長から手厚い庇護を受けて、社領は1300石にも達している。ところが信長の死後、豊臣政権の時代になると豊臣秀吉はその社領を没収し、さらに天正13年(1585年)の紀州攻めの際に社殿を焼くという暴挙に出ている。
現在の社殿は慶長7年(1602年)、秀吉の3男・豊臣秀頼によって再建されたものと言われており、これは昭和24年(1949年)2月に国の重要文化財に指定されている。他に摂社春日神社本殿、摂社住吉神社本殿はいずれも同時期に国の重要文化財に指定されている。
この神社は神像彫刻を多数有する事でも知られており、83体中8体が国の重要文化財に指定され、残りは大阪府の重要美術品に指定されている。