YS-11
YS-11(わいえすいちいち)とは、日本の民間航空機である。ウィキペディアの該当ページが荒れていたが、追い出されたためにこちらで補足する。
「輸送機」「設計」で、機体が初号でありエンジンも初号であったため、この名がついた。
概要[編集]
当時の設計者は「旅客機」の設計には関わった経験がなかったので、わりあいに軍用機寄りの設計ではある。WikiPediaでは『元テストパイロットの沼口正彦は退役後のインタビューにおいて、「YS-11はパワー不足が目立った」とも語っている。YSの出力不足は、沼口に限らず多くのパイロットから指摘されている弱点である。全日空の機長としてYS-11に乗務したことがある内田幹樹はその著書『機長からアナウンス』で「最初はあまりのパワーのなさに驚いた」、「そのうえコクピットの居住環境も、寒すぎたり暑すぎたりとほんとうに最悪だった」、「飛行機マニアにいまでも人気が高いようだが、これはまったく理解できない」、「クラウンに軽自動車のエンジンを乗せたような飛行機」、「パイロット仲間でもYS-11に愛着のある人をほとんど知らない」と酷評している。また重量のためタイヤに負担がかかり頻繁に交換が必要だという。』と言われているが、当時は「ジャンプ・ジェット」とかいった概念がなかったため、「航空騒音」とかいった概念もなかった。
したがって、軍用機ほどの離陸性能は要求されず、「短い滑走路でも安全に離着陸できる」ことを重視した結果としてあの形になった。
詳細[編集]
「低翼単葉・引込脚・全金属製・セミモノコック構造」というシンプルな設計であり、しかも頑丈であったため部品供給や整備が万全であれば、いわゆる「低開発国」「発展途上国」でも運用しやすいという利点があった。ただし旅客機であるため客室窓などが必要になり、安全性との兼ねあいで当時の設計者(とくに強度計算者)は悩んだという。
離陸上昇時の高揚感はまさしく「高揚感」であり、懐かしむ人も多い。ただし、その影響力は想像を超えて海外に影響を与え、日本の航空業界は外圧を受けることになった。
その観点からいうと、ホンダジェットはYS-11の後継機と言っても本田宗一郎さんは怒るまいと思う。
脚注[編集]