常田富士男

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常田 富士男(ときた ふじお、昭和12年(1937年1月30日 - 平成30年(2018年7月18日)は、日本俳優声優ナレーター

概要[編集]

俳優業の他、昭和50年(1975年)からは「まんが日本昔ばなし」で市原悦子とのコンビで登場人物の語り手を務め、多くの視聴者から親しまれた。

経歴[編集]

長野県出身。後に熊本県に移って育つ。熊本県立済々黌高等学校定時制に通い、卒業後に上京して劇団民芸の養成所に入所し、昭和34年(1959年)に米倉斉加年劇団青芸を結成した(その後解散)。
NHK大河ドラマ・源義経や日本テレビ系のバラエティー番組である「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」などでとぼけた風貌と独特の口調で注目された。映画においては、黒澤明の「赤ひげ」や今村昌平の「楢山節考」「うなぎ」、ジブリ映画・「天空の城ラピュタ」に出演した。

昭和52年(1977年)には「まごころの政治」を掲げて保谷市(現在の西東京市)市長選に立候補し、中村敦夫の応援を受けたが落選する。死去する3年前に脳出血で倒れ、その際は懸命なリハビリで日常生活に差し支えないほどにまで回復する。晩年は民話の公演で全国を回っており、平成29年(2017年7月には自宅のある西東京市で恒例の民話の世界の講演会をいつものゆったりした口調で1時間弱ほど行なったという。しかし平成30年(2018年)2月に再び脳出血で倒れてそのまま入院し、会話こそできなかったが安定した状態が続いていたという。しかし7月18日になって容態が悪化し、同日午後に脳内出血のため東京都内の病院死去した。81歳没。

家族[編集]

家族は妻(81歳)、長男で俳優の倉崎青児(58歳)とその妻、そして孫(37歳)がいる。年齢は常田が死去した時点のものである。

出演[編集]

テレビドラマ[編集]

映画[編集]

テレビアニメ[編集]

劇場アニメ[編集]

人形劇[編集]

音楽[編集]

  • 私のビートルズ(1970年)
  • 2001年生まれのフランケンシュタイン 「おはよう!こどもショー」内
  • ゴリラの一郎 花とさけ 「ソング・オブ・カリキュラマシーン」所収(1974年)
  • トッピンからげて逃げられて(1983年)

CD[編集]

  • 常田富士男 民話の世界

ラジオ[編集]

バラエティ・情報番組[編集]

CM[編集]

その他[編集]

出典[編集]

  1. まえがみ太郎”. 日本アニメーション. 2016年6月29日確認。
  2. ユニコ 魔法の島へ”. メディア芸術データベース. 2016年11月6日確認。
  3. 天空の城ラピュタ”. 金曜ロードSHOW!. 2016年6月4日確認。

外部リンク[編集]