富永政家
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富永 政家(とみなが まさいえ、天文23年(1554年) - 慶長12年7月12日(1607年9月3日))は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。後北条氏の家臣。
略歴[編集]
幼名は亀千代。仮名は孫四郎。受領名は山城守。
父は後北条家の重臣で武蔵国江戸城代を務めた富永康景。永禄7年(1564年)1月の国府台合戦で父が戦死したため、11歳で家督を相続する。史料上の初見は永禄12年(1569年)5月に在番していた岩槻城から直接、滝山城守備を命じられているものである。
北条氏康・北条氏政・北条氏直の後北条家3代に仕えた。富永氏は室町幕府の奉公衆で、堀越公方の奉公衆を経て北条早雲の家臣となり、伊豆国土肥に1383貫の所領を領していた。政家は後北条家に仕えた4代目と言われている。父と同じく江戸城代、江戸衆寄親を任され、後北条家からは軍人として重用されている。
天正18年(1590年)の小田原征伐においては伊豆国韮山城に籠城して北条氏規と共に善戦するも降伏。戦後に後北条家が没落すると、新たな関東の太守となった徳川家康に対して嫡男の富永直則を仕官させ、自らは隠棲した。
慶長12年(1607年)7月12日に死去。54歳没。法名は常仙院殿日円大居士。