よみもの:日本史大辞典

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年(西暦)の情報追加について

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例:

1月1日 - 3rdエンペディアが10周年を迎える。

ミヤコ様は3つ目の新天地を歩んで10年。

弥生時代[編集]

1年[編集]

2年[編集]

3年[編集]

はにわ(武者)

垂仁天皇皇后日葉酢媛命崩御[編集]

元号は垂仁天皇32年。天皇の妻が崩御したが、天皇はその後も長生きした。

野見宿禰埴輪(はにわ)を考案。[編集]

古墳にはにわが使われる様になったのは最低でも100年後以上の事である

4年[編集]

5年[編集]

6年[編集]

7年[編集]

8年[編集]

9年[編集]

10年[編集]

11年[編集]

12年[編集]

13年[編集]

14年[編集]

三国史記 新羅本紀』によれば、この年倭人が兵船百余隻で新羅の領海に侵入したとされる。[編集]

元号は垂仁天皇43年。侵入は創作だと言う説もあるが、恐らく西暦初の朝鮮侵入と思われる。

15年[編集]

16年[編集]

17年[編集]

18年[編集]

19年[編集]

20年[編集]

21年[編集]

22年[編集]

23年[編集]

24年[編集]

25年[編集]

26年[編集]

27年[編集]

28年[編集]

29年[編集]

30年[編集]

31年[編集]

32年[編集]

33年[編集]

34年[編集]

35年[編集]

36年[編集]

37年[編集]

38年[編集]

39年[編集]

40年[編集]

皇紀700年[編集]

皇紀700年。神武天皇の即位から700年。

41年[編集]

42年[編集]

43年[編集]

44年[編集]

45年[編集]

46年[編集]

47年[編集]

48年[編集]

49年[編集]

50年[編集]

51年[編集]

52年[編集]

53年[編集]

54年[編集]

55年[編集]

56年[編集]

57年[編集]

の国王が後漢に入貢し、光武帝より「漢委奴国王」の印綬を下賜される。[編集]

卑弥呼が金印を下賜されたこととは別で、に入貢したもの。

58年[編集]

59年[編集]

60年[編集]

61年[編集]

62年[編集]

63年[編集]

64年[編集]

65年[編集]

66年[編集]

67年[編集]

68年[編集]

69年[編集]

70年[編集]

8月8日 - 垂仁天皇が崩御。享年139。[編集]

99年間在位してきた垂仁天皇が遂に崩御した。皇后の死去から67年後の事だった。ちなみに古事記だと享年は157である。

8月24日 - 景行天皇が即位[編集]

8日に崩御した垂仁天皇に代わり景行天皇が12代天皇として即位した。

71年[編集]

72年[編集]

73年[編集]

景行天皇が美濃国に行幸する[編集]

美しい妃を求めて大碓皇子を派遣し、自らは美濃国泳宮に滞在したとされるが、大碓皇子が使命を果たさなかったために天皇は激怒した。

74年[編集]

75年[編集]

76年[編集]

77年[編集]

78年[編集]

79年[編集]

80年[編集]

81年[編集]

8月クマソタケルが謀反。天皇自ら征伐する。[編集]

豊前国日向国に征伐の為行宮(かりみや)を建造。82年の夏に征伐を終え、88年に都へ帰還。

82年[編集]

ヤマトタケルが出生。生没月日不明。[編集]

実は景行天皇の皇子であり仲哀天皇の父でもある。ヤマトタケルは関東を平定し、その後になったと伝わる。

83年[編集]

武内宿禰成務天皇が出生。生没月日不明。[編集]

成務天皇は第13代天皇。武内宿禰は紀伊にいたとされる猛将。

84年[編集]

85年[編集]

86年[編集]

87年[編集]

88年[編集]

89年[編集]

90年[編集]

91年[編集]

92年[編集]

93年[編集]

94年[編集]

95年[編集]

7月3日 - ヤマトタケルが景行天皇蝦夷討伐を申し込まれる。[編集]

「蝦夷」は北海道のこと。蝦夷討伐としては西暦初。

96年[編集]

97年[編集]

98年[編集]

99年[編集]

100年[編集]

101年[編集]

102年[編集]

103年[編集]

104年[編集]

105年[編集]

106年[編集]

107年[編集]

108年[編集]

109年[編集]

110年[編集]

8月18日 - 景行天皇ヤマトタケル東夷討伐を命じる。[編集]

駿河を燃やすヤマトタケル

この時、駿河国の一部を焼いた。それは焼津の名前の由来にもなったらしい。

111年[編集]

大國魂神社創建。[編集]

後に国司によって武蔵国総社とされた。

ヤマトタケル死去。享年29。[編集]

墓は三重県奈良県大阪府と三つあり、その三つが国に認定されている。

112年[編集]

113年[編集]

熱田神宮創祀。[編集]

草薙剣を祀る。尚、創建は79年後の192年。

114年[編集]

115年[編集]

116年[編集]

117年[編集]

118年[編集]

119年[編集]

120年[編集]

121年[編集]

122年[編集]

123年[編集]

124年[編集]

125年[編集]

126年[編集]

127年[編集]

128年[編集]

129年[編集]

130年[編集]

12月24日 - 景行天皇が崩御。享年143。[編集]

皇紀790年の節目。長男はヤマトタケル、次男は13代天皇の成務天皇

131年[編集]

2月18日 - 成務天皇が即位。[編集]

約2ヶ月間、天皇空位となった。長男が早く死んだ為、次男を使用した。

132年[編集]

133年[編集]

134年[編集]

135年[編集]

136年[編集]

137年[編集]

138年[編集]

フナディウス4世出生。[編集]

の妖精とも呼ばれる。1875歳の時、ゆるキャラグランプリで征夷大将軍に就任した。

139年[編集]

140年[編集]

皇紀800年[編集]

皇紀800年。神武天皇の即位から800年。

141年[編集]

142年[編集]

143年[編集]

144年[編集]

145年[編集]

146年[編集]

147年[編集]

148年[編集]

149年[編集]

150年[編集]

151年[編集]

152年[編集]

153年[編集]

154年[編集]

155年[編集]

156年[編集]

157年[編集]

158年[編集]

159年[編集]

160年[編集]

161年[編集]

162年[編集]

163年[編集]

164年[編集]

165年[編集]

166年[編集]

167年[編集]

168年[編集]

169年[編集]

170年[編集]

171年[編集]

172年[編集]

173年[編集]

174年[編集]

175年[編集]

176年[編集]

177年[編集]

178年[編集]

179年[編集]

180年[編集]

181年[編集]

182年[編集]

183年[編集]

184年[編集]

185年[編集]

156年[編集]

187年[編集]

188年[編集]

189年[編集]

190年[編集]

7月30日 - 成務天皇が崩御。享年106。[編集]

皇紀850年の節目。日本の行政を固めた。

191年[編集]

192年[編集]

2月11日 - 仲哀天皇が即位。[編集]

叔父に代わって即位。天皇空位時間は18ヶ月間とここまでで最も長い空位時間。

193年[編集]

194年[編集]

195年[編集]

196年[編集]

197年[編集]

198年[編集]

199年[編集]

200年[編集]

3月8日 - 仲哀天皇が崩御。享年51(諸説あり)[編集]

即位から9年で崩御した。皇紀860年の節目。連続で100歳を超えていた天皇の年齢も、ここで途切れた。

古墳時代[編集]

201年[編集]

1月5日 - 応神天皇出生。[編集]

第15代天皇。尚、幼かった為摂政を妻の神功皇后とした。

202年[編集]

203年[編集]

204年[編集]

205年[編集]

206年[編集]

207年[編集]

208年[編集]

209年[編集]

210年[編集]

211年[編集]

212年[編集]

213年[編集]

214年[編集]

215年[編集]

216年[編集]

217年[編集]

218年[編集]

219年[編集]

220年[編集]

卑弥呼公孫氏一族と貿易外交を開始[編集]

公孫氏2代当主、申包胥の頃。卑弥呼が初めて文献に登場した。

221年[編集]

222年[編集]

223年[編集]

224年[編集]

225年[編集]

226年[編集]

227年[編集]

228年[編集]

229年[編集]

230年[編集]

231年[編集]

232年[編集]

233年[編集]

234年[編集]

235年[編集]

236年[編集]

237年[編集]

238年[編集]

出土した銅鏡。重要文化財

から画文帯神獣鏡が寄贈される[編集]

甲斐国中部(現在の市川三郷町)にて出土。後に卑弥呼に贈られたと見られる。

239年[編集]

卑弥呼に使者を派遣[編集]

遣魏使。難升米を中心にして交渉を進めた。

遣魏使派遣半年後、明帝から漢委奴国王の金印を下賜される。[編集]

漢委奴国王印

純金製の金印である。国宝指定。魏はこの時代多くの国に金印を下賜し、勢力下に置いた。

240年[編集]

魏からの銅鏡が増加し、上野国山城国播磨国備後国などで銅鏡が多く出土する[編集]

山城国のものは広峰古墳から出土。

皇紀900年[編集]

皇紀900年。神武天皇即位から900年。

241年[編集]

242年[編集]

243年[編集]

244年[編集]

再びから画文帯神獣鏡が寄贈される[編集]

安倉高塚古墳。画文帯神獣鏡出土。重要文化財。

現在の宝塚にて出土。重要文化財。

245年[編集]

246年[編集]

247年[編集]

狗奴国卑弥弓呼とで大戦が勃発(卑弥弓呼の乱)[編集]

現在の福岡近くか、奈良中部で起こったとされるが、どちらかは不明。1年間にわたって戦った。

248年[編集]

卑弥呼、暗殺。享年不明。[編集]

この年に起こった日食で魔力が衰えたところを誰かが謀反を起こし殺害したと見られる。1ヶ月後、壹与即位。

249年[編集]

250年[編集]

251年[編集]

252年[編集]

253年[編集]

254年[編集]

255年[編集]

256年[編集]

257年[編集]

仁徳天皇出生。[編集]

第16代天皇。応神天皇の第四皇子。

258年[編集]

259年[編集]

260年[編集]

261年[編集]

262年[編集]

263年[編集]

264年[編集]

265年[編集]

266年[編集]

壱与が西晋に使者を派遣する。[編集]

当時の西晋はかなり荒れており、帝が急死して後継者問題が起こる・その後継者が悪政を引き起こすとかなり政情不安定に見えたが、壱与は周囲の国家を味方につけるために使者を送り、朝貢。

267年[編集]

268年[編集]

269年[編集]

270年[編集]

1月1日 - 応神天皇即位。[編集]

空位時間は69年ととても長く、それまでは神功皇后が摂政として代わりに政治を代行していた。

271年[編集]

272年[編集]

273年[編集]

274年[編集]

275年[編集]

276年[編集]

277年[編集]

278年[編集]

279年[編集]

280年[編集]

281年[編集]

282年[編集]

283年[編集]

284年[編集]

285年[編集]

286年[編集]

287年[編集]

288年[編集]

289年[編集]

290年[編集]

291年[編集]

292年[編集]

293年[編集]

294年[編集]

295年[編集]

296年[編集]

297年[編集]

298年[編集]

299年[編集]

300年[編集]

301年[編集]

302年[編集]

303年[編集]

304年[編集]

305年[編集]

306年[編集]

307年[編集]

308年[編集]

309年[編集]

310年[編集]

3月31日 - 応神天皇が崩御。享年110。[編集]

皇紀970年の節目。墓は誉田御廟山古墳に存在する。

311年[編集]

大山守命が皇太子の菟道稚郎子を駆除すべく、菟道稚郎子の襲撃計画を企てる[編集]

大山守命は応神天皇の兄で、菟道稚郎子は皇太子である。二人は天皇の後継者をめぐって対立し、大山守命が応神天皇が崩御してすぐに軍勢を整えたが、菟道稚郎子がいち早くこれを察知して大山守命を罠に嵌めて川に突き落として溺死に追い込んだ。これにより菟道稚郎子は即位が決定したが、大鷦鷯尊(応神天皇)に天皇位を譲ってそれに伴って自殺した。

312年[編集]

313年[編集]

2月14日 - 仁徳天皇即位。[編集]

応神天皇の第四皇子であり、即位するはずでは無かったが兄・菟道稚郎子の推薦により天皇として即位した。菟道稚郎子とは最初皇位の譲り合いとなったが、朝廷の事態を重く見た菟道稚郎子が自殺して仁徳天皇が即位した。

314年[編集]

315年[編集]

316年[編集]

317年[編集]

318年[編集]

319年[編集]

320年[編集]

321年[編集]

322年[編集]

323年[編集]

324年[編集]

325年[編集]

326年[編集]

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338年[編集]

339年[編集]

340年[編集]

神武天皇
大日本名将鑑

皇紀1000年[編集]

皇紀1000年。神武天皇の即位と倭の建国から1000年が経過する。

341年[編集]

342年[編集]

343年[編集]

344年[編集]

345年[編集]

346年[編集]

347年[編集]

348年[編集]

349年[編集]

350年[編集]

351年[編集]

352年[編集]

353年[編集]

354年[編集]

355年[編集]

356年[編集]

357年[編集]

358年[編集]

359年[編集]

360年[編集]

361年[編集]

362年[編集]

363年[編集]

364年[編集]

365年[編集]

366年[編集]

367年[編集]

武内宿禰死去。享年284(数え年、諸説あり)。[編集]

甲斐国大和国美濃国の三つが有力説のある死去地とされ、墓地は不明である。

368年[編集]

369年[編集]

七支刀(七枝刀)。模造品。

百済と同盟を組んで新羅を攻撃し、任那を手に入れる。[編集]

任那進出後、弥生時代から古墳時代にかけて造られた弥生土器が任那にて急増したとされる。

七支刀が作刀される。[編集]

七支刀は石上神宮に伝わる日本刀(剣)の一種。同神宮では「六叉の鉾」と呼ばれる。祭具としての役割を持ち、武器としての効果は全く無い。剣身に銘文が施されているが、未だに解読されていない為に研究が進んでいる。

370年[編集]

371年[編集]

372年[編集]

373年[編集]

374年[編集]

375年[編集]

376年[編集]

377年[編集]

378年[編集]

379年[編集]

380年[編集]

381年[編集]

382年[編集]

383年[編集]

384年[編集]

385年[編集]

386年[編集]

387年[編集]

388年[編集]

389年[編集]

390年[編集]

391年[編集]

392年[編集]

393年[編集]

394年[編集]

395年[編集]

396年[編集]

397年[編集]

398年[編集]

399年[編集]

400年[編集]

401年[編集]

402年[編集]

403年[編集]

404年[編集]

405年[編集]

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413年[編集]

414年[編集]

415年[編集]

416年[編集]

417年[編集]

418年[編集]

419年[編集]

420年[編集]

421年[編集]

422年[編集]

423年[編集]

424年[編集]

425年[編集]

426年[編集]

427年[編集]

428年[編集]

429年[編集]

430年[編集]

431年[編集]

432年[編集]

433年[編集]

434年[編集]

435年[編集]

436年[編集]

437年[編集]

438年[編集]

439年[編集]

440年[編集]

441年[編集]

442年[編集]

443年[編集]

444年[編集]

445年[編集]

446年[編集]

447年[編集]

448年[編集]

449年[編集]

450年[編集]

451年[編集]

452年[編集]

453年[編集]

454年[編集]

455年[編集]

456年[編集]

457年[編集]

458年[編集]

459年[編集]

460年[編集]

飛鳥時代[編集]

奈良時代[編集]

長岡時代[編集]

平安時代[編集]

鎌倉時代[編集]

1219年[編集]

源実朝が死去(享年28、数え年)し、甥の公暁も死去する(享年20、数え年)。[編集]

歌人将軍であった源実朝がこの年に鶴岡八幡宮にて甥の公暁に暗殺され、公暁も直後に殺されたため、将軍家の血筋が絶えてしまった。

1221年[編集]

4月 - 承久の乱が勃発する。[編集]

将軍家の血筋が絶えたことをきっかけに後鳥羽上皇が挙兵し、北条義時の追討を目指した。

6月15日 - 承久の乱が終結する。[編集]

義時の追討を後鳥羽上皇は取り消し、乱自体は幕府側の勝利という形で終結した。

7月9日 - 後鳥羽上皇が隠岐へ流される。[編集]

承久の乱の首謀者であった後鳥羽上皇が出家直後、隠岐の中ノ島へ島流しとなり、以降はその地で歌を詠んで晩年を過ごした。

1274年[編集]

文永の役にて元軍の侵攻がなされる。[編集]

元のフビライが海を渡り日本を征服しようとした。てつはうや集団戦法で苦戦したが、元軍は嵐に飲まれ敗走した。

1281年[編集]

弘安の役にて元軍の侵攻がなされる。[編集]

懲りずにまたフビライが日本征服を試みるが、また嵐に飲まれ元が敗走。フビライはこの13年後に死去し、日本征服の野望は潰えた。

建武時代[編集]

室町時代[編集]

安土桃山時代[編集]

江戸時代[編集]

明治時代[編集]

大正時代[編集]

昭和時代[編集]

1963年[編集]

1月1日 - テレビアニメ『鉄腕アトム』放映開始。[編集]

テレビアニメのパイオニアとも言える鉄腕アトムの放映が本年より開始された。

平成時代[編集]

2016年[編集]

5月22日 - 笑点の顔として親しまれてきた桂歌丸が笑点を勇退。[編集]

番組『笑点』放映開始時より出演してきた桂歌丸が笑点の司会を勇退した。司会の後任は春風亭昇太で、昇太の枠には林家三平が入ることになった。

令和時代[編集]

2019年(4月1日より)[編集]

2020年[編集]

2021年[編集]

2022年[編集]

12月11日 - 日本を代表する特急型交直流電車「485系」が完全引退[編集]

長らく日本の特急型の顔として親しまれてきた485系だが、老朽化は避けられず、この日のリゾートやまどりの運用をもって全車が引退した。

2023年[編集]

1月3日 - 第99回箱根駅伝、駒澤大学が優勝。[編集]

駒澤大学は他にこのシーズン中の出雲駅伝と全日本大学駅伝を優勝しており、史上5校目の三冠達成となった。

1月27日 - 新型コロナウイルスの5類引き下げ日が初めて公表される[編集]

5月8日に可決された。

2月17日 - 荒井勝喜元首相秘書官、LGBT差別発言により更送される。[編集]

LGBTの論点の一つ、同性婚について荒井氏は「見るのも嫌だ」と問題発言を発し、総理大臣秘書官職を更送された。

2月21日 - 上野動物園パンダシャンシャンが中国に返還される。[編集]

午前7時ごろ、専用トラックがシャンシャンを成田空港へと輸送し、多くの人に見守られるなか上野動物園を去った。成田空港でシャンシャンは好物のタケノコやリンゴを食べて心を落ち着かせたという。その日の18時には中国に到着し、四川省雅安市のジャイアントパンダ保護センターへ入った。