鳴海城
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鳴海城(なるみじょう)とは、現在の愛知県名古屋市緑区鳴海町に存在した日本の城である。
概要[編集]
室町時代前期の応永年間(1394年 - 1428年)に安原宗範が鳴海城を築城したが、すぐに廃城になったという。
永禄年間(1558年 - 1570年)には織田信長の家臣・山口教継が鳴海城主となっていたが、教継は永禄2年(1559年)に今川義元に寝返り、そのため駿河国の戦国大名・今川義元の家臣・岡部元信がこの城を修築して居城とする。永禄3年5月19日(1560年6月12日)に今川義元は尾張国に侵攻するが、尾張国の戦国大名である織田信長の前に桶狭間の戦いで敗死を遂げ、首級を奪われてしまう。これを知った岡部元信は信長に義元の首級の返還を求め、鳴海城に攻め寄せる織田軍を撃退し続けた。このため、信長は元信の要求を聞き入れて義元の首級を返還し、元信はこれにより鳴海城を開城して退去した。なお、元信は駿河に引き上げる際に刈谷城の水野信近を急襲して首級を挙げる武勇談を挙げた名将でもある。
その後、鳴海城には信長の重臣・佐久間信盛が城主となるが、天正年間(1573年 - 1592年)末期に廃城とされた。
この城の規模は東西に2つの曲輪があり、東西はおよそ135メートル、南北はおよそ61メートルで、南は絶壁で、東西北に堀をめぐらしていた跡が伺える。東の曲輪跡に城跡の碑が建立されている。