岡部元信
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岡部 元信(おかべ もとのぶ、? - 天正9年3月22日[1](1581年4月25日))は、戦国時代の武将。今川家の家臣。後に甲斐武田家の家臣。通称は五郎兵衛[1]。受領名は丹波守[1]。父は岡部久綱。子に真綱、元昌、娘(土屋昌恒室)ら。
生涯[編集]
元は今川義元の家臣で、義元戦死後に氏真に仕える[1]。氏真没落後は武田信玄に仕える[1]。信玄没後は勝頼に仕え、天正元年(1573年)に勝頼から岡部家の惣領としての地位を認められ、天正3年(1575年)から遠江小山城に在城し、徳川家康の攻撃を撃退した[1]。
天正8年(1580年)から江馬氏、大戸浦野氏、栗田氏らと共に遠江高天神城に在番して守備するが、徳川家康の兵糧攻めを受けた[1]。天正9年(1581年)、勝頼に援軍を要請するが当時の勝頼は東の北条氏政らと対立していたために援軍を送れず、元信は家康に降伏を申し出たが信長から降伏を許さないように意を受けていた家康は許さなかった[1]。そのため元信は、高天神城の戦いにて残った城兵と共に玉砕覚悟で打って出て討ち死にを遂げた[1]。
家督は嫡子・真綱が継承した。