飯塚染子

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飯塚 染子
いいづか そめこ
戒名 霊樹院
性別
年齢 39
時代 江戸時代前期 - 中期
生年月日 寛文5年(1665年
生誕地 京都
死没日 宝永2年5月10日1705年6月30日
肩書き 柳沢吉保側室徳川綱吉の愛人?)
国籍 日本国旗.png日本
配偶者 柳沢吉保(一説に徳川綱吉
子供 柳沢吉里柳沢長暢柳沢安基、女子4名
不詳

飯塚 染子(いいづか そめこ、寛文5年(1665年) - 宝永2年5月10日1705年6月30日))は、江戸時代の女性で、甲斐甲府藩主・柳沢吉保側室

略歴[編集]

京都で生まれる。両親については不詳[1]

延宝7年(1679年)12月に徳川綱豊正室である天英院が入輿する際に従って下向し、そのうち徳川綱吉の寵愛を受けて懐妊したとされ、綱吉の最側近だった柳沢吉保に与えられた[1]

貞享4年(1687年)9月3日、吉保の長男とされる柳沢吉里を産んでいる。他に柳沢長暢柳沢安基、さらに4名の娘を産んだとされる。ただ、一説に染子は実は綱吉の子供を身籠っており、そのまま吉保の側室となって吉里を産んだとされている。綱吉はたびたび吉保の屋敷に渡御しているが、この理由が染子と出会うためだったという。このため、綱吉の死後に吉里を新たな征夷大将軍として擁立する動きもあったとされている[1]

染子は宝永2年(1705年)5月10日、39歳で死去したとされているが、疑問があるとされる[1]

飯塚染子が登場する作品[編集]

映画[編集]

テレビドラマ[編集]

脚注[編集]

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  1. a b c d 卜部「江戸城大奥の女たち」P198

参考文献[編集]