砂川啓介

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砂川 啓介(さがわ けいすけ、1937年昭和12年〉2月12日 - 2017年平成29年〉7月11日)は、日本俳優タレントNHKおかあさんといっしょ』初代たいそうのおにいさん声優大山のぶ代。本名、山下 啓一(やました けいいち)。俳優としては主に舞台、ドラマで活動。

略歴[編集]

東京都出身。成城高等学校在学中に芸能活動を始める。映画足摺岬』などに出演した。

1961年(昭和36年)にNHKの子供番組であるうたのえほんで初代たいそうのおにいさんに起用され、1966年(昭和41年)におかあさんといっしょに統合された同番組の看板キャラクターとして人気を集めた。1967年(昭和42年)にドラマ・意地悪ばあさんで万年役で出演する。1980年(昭和55年)に青島幸男古今亭志ん馬の後を継いで日本テレビお昼のワイドショー司会を6年間務めた。

大山のぶ代とは1964年(昭和39年)に番組の共演が縁となり、2月10日結婚する。オシドリ夫婦で知られ、2001年(平成12年)に出版したカミさんはドラえもんは代表的な著書である。夫婦の著書である『啓介・のぶ代のおもしろ酒肴』は100万部を数えるベストセラーである。夫婦の間には2人の子供に恵まれたが、最初の子供は死産で、1972年(昭和47年)に生まれた長女も生後3か月で亡くなった。これを契機に夫婦は寝室を別にしていわゆる夫婦生活がなかった(セックスレス)という。

2008年(平成20年)にのぶ代が脳梗塞を発症し、その4年後の2012年(平成24年)に認知症と診断された。砂川は2015年(平成27年)5月にのぶ代の認知症を公表し、自宅で家政婦らと介護をしていた。しかし自らも2013年(平成25年)の時点で初期の胃癌を既に患って手術を受けていた。この年の10月に著書・「娘になった妻、のぶ代へ」を発表している。

砂川は認知症の妻を残して死ぬことを恐れ、「君を置いて先に死ねない」と語っていたという。だが2016年(平成28年)4月に尿管癌と診断され、抗癌剤放射線治療で入退院を繰り返しながらのぶ代のサポートを続けていた無理がたたってか、2017年(平成29年)5月15日にたまった水を抜くために入院し、6月9日に退院するも、その4日後の6月13日に血圧が60台に低下して意識不明になった。この際はマネージャーに発見されて緊急入院し、数日後に砂川は意識を取り戻した。だが、砂川は死期を悟ったのかマネージャーに対して「すまないね。頼むよ」とのぶ代のことを気にかけて頼んだという。砂川が治療に専念するため、のぶ代は在宅介護から老人ホームに移り、数回砂川の見舞いにも訪れたが、砂川は既に会話できる状態ではなかったという。そして7月11日未明に容態が急変し、午前4時10分、尿管癌により東京都港区病院で死去した。80歳没。葬儀告別式は砂川の意向により近親者のみで行われ、喪主はのぶ代が務めた。

のぶ代は砂川の臨終には間に合わなかったとされる。通夜と告別式には出席しておらず、砂川の死去をどこまで認識したかは不明であるとされている。

砂川の60年来の友人である毒蝮三太夫によると、砂川の言でのぶ代は「(砂川のことは)わかる」と言っていたという。認知症ののぶ代を残しての無念の死去であった。

出演作品[編集]

テレビ[編集]

ラジオ[編集]

舞台[編集]

映画[編集]

ディスコグラフィー[編集]

著書[編集]

  • 共著:大山のぶ代『啓介・のぶ代のおもしろ惣菜170 不意の来客、家計のピンチに安くてうまいスピード料理』グラフ社、1988年4月、ISBN 9784079256728
  • 共著:大山のぶ代『啓介・のぶ代のおもしろ酒肴 5〜25分お待たせタイムつき』グラフ社、1991年8月、ISBN 9784079377416
  • 『カミさんはドラえもん』双葉社、2001年10月、ISBN 9784575292954
  • 『娘になった妻、のぶ代へ 大山のぶ代「認知症」介護日記』双葉社、2015年10月、ISBN 9784575309553

外部リンク[編集]