宮澤喜一

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宮澤喜一(みやざわ きいち、1919年生 - 2007年没)は、広島県出身の日本官僚政治家

経歴[編集]

東京大学卒業後、旧大蔵省に入省。官僚として得意な英語を生かした。1953年参議院選挙に立候補し、当選し参議院議員となる。1967年から衆議院議員に転じる。経済企画庁長官、通産大臣外務大臣大蔵大臣などを歴任した。一貫して保守政治の要職にあり、経済政策に通じた。1991年1993年まで内閣総理大臣自由民主党総裁を務めた。

親族[編集]

孫の女優宮澤エマが著名。 係累には政治家が多く、母方祖父の小川平吉は鉄道大臣などを歴任した。弟の宮澤弘は広島県知事、参議院議員を歴任した。甥の宮澤洋一は現・参議院議員。弘の義兄は元衆議院議員の岸田文武岸田文雄前首相の父)