山口那津男

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山口那津男(やまぐち なつお、1952年(昭和27年)7月12日生 - )は、日本政治家弁護士

公明党所属の参議院議員。公明党の常任顧問。

衆議院議員、防衛政務次官新進党の副幹事長、公明党代表(第3代)などの役職を歴任した。

経歴[編集]

生い立ち[編集]

  • 日立市立中小路小学校、茨城大学教育学部付属中学校、茨城県立水戸第一高等学校を卒業し、一浪を経て、1972年(昭和47年)に東京大学文科一類に入学。弁護士を目指して司法試験の勉強を始めた。年齢も入学年度も同じでともに弁護士志望だった魚住裕一郎と親友になり、しばしば喫茶店で社会問題を論じたという。1978年(昭和53年)に二留を経て、東京大学法学部を卒業。

弁護士時代[編集]

衆議院議員[編集]

  • 神崎武法(公明党議員)の誘いで1990年(平成2年)2月に衆議院総選挙に公明党の公認候補で立候補して初当選し、衆議院議員となる。1993年(平成5年)8月の衆議院総選挙で再選。非自民連立政権の細川内閣(細川護熙が首相)では防衛政務次官に就任した。
  • 1994年(平成6年)12月に、公明党の解党に伴い「公明新党」を経て新進党の結成に参加。新進党「明日の内閣」安全保障副担当、新進党の副幹事長などを歴任した。1996年(平成8年)10月の衆議院総選挙では、新進党公認で立候補したが、自民党の公認候補の平沢勝栄に敗北し、落選した。その後、1997年(平成9年)12月に新進党が解党した。1998年(平成10年)11月に公明党の結成に参加。1999年(平成11年)に自民党との「自公連立政権」(小渕恵三第2次改造内閣)に参加し、公明党は政権与党となる。その翌年、2000年(平成12年)の衆議院総選挙では自民党の平沢勝栄に再び敗北し、落選した。

参議院議員[編集]

  • 2001年7月の参議院選挙に公明党の公認候補(保守党の推薦候補)で立候補して初当選し、参議院議員となる。
  • 2007年(平成19年)7月の参議院選挙で参議院議員に再選された。

公明党代表[編集]

  • 2012年(平成24年)2月29日の国会の党首討論で、民主党野田佳彦内閣総理大臣)と握手を交わす。
  • 2009年9月に民主党への政権交代が起きて自公両党が下野した衆議院総選挙で落選し、公明党代表(第2代)を辞任した太田昭宏の後任として、山口那津男が公明党代表(第3代)に就任。(その8日後の9月16日、麻生太郎内閣総辞職および鳩山由紀夫内閣成立)。なお、その20日後の9月28日、同じく総選挙で敗北した自民党総裁の麻生太郎も(太田昭宏と異なり、落選こそしなかったものの)引責辞任し、その後継に自民党総裁選挙を経て谷垣禎一が就任した。2010年9月に公明党代表に無投票再選。2012年(平成24年)9月に公明党代表に無投票3選。また、2012年(平成24年)の自民党総裁選挙で谷垣禎一の任期満了に伴う後継として、安倍晋三が自民党総裁に就任。
  • 2012年(平成24年)12月の衆議院総選挙では自民党が第一党に復帰し、公明党も議席を回復。自民党総裁の安倍晋三から自公連立政権の3年ぶりの再樹立を打診されたため、2012年(平成24年)12月25日に安倍晋三と連立政権合意文書を取り交わす。2012年(平成24年)12月26日に野田佳彦内閣の総辞職により旧・民主党政権が終焉し、第2次安倍内閣(自公連立政権)が発足した。
  • 2013年1月に第2次安倍政権の与党幹部として初めて中国共産党中央委員会総書記の習近平と会談し内閣総理大臣の安倍晋三から託された親書を手渡す。2013年(平成25年)7月の参議院選挙に公明党の公認で立候補して、参議院議員として3選を果たした。2014年(平成26年)9月に公明党代表に無投票4選。2016年(平成27年)9月に公明党代表に無投票5選。2018年(平成29年)9月に公明党代表に無投票6選。2019年(令和元年)7月に参議院選挙で4選された。2020年(令和2年)9月に公明党代表に無投票により7選。なお、(安倍晋三(首相)の病気による辞任表明を受けて)この13日前の9月14日に行われた自民党総裁選挙で菅義偉が選出され、2日後の9月16日に菅義偉が内閣総理大臣に就任し、(第4次安倍第2次改造内閣総辞職に伴い)菅義偉内閣が発足。
  • 2022年(令和4年)9月に公明党代表に無投票で8選。山口那津男は 2022年(令和4年)年4月には公明党幹事長の石井啓一について「ぜひ次のリーダーに頑張ってもらいたい。一押しだ」と述べており、公明党代表選に立候補せず石井啓一に禅譲する可能性が取りざたされていたが、参議院選挙での伸び悩みや「安倍晋三銃撃事件」が起こり、その後「旧統一教会問題」を受けての政権基盤の不安定化から、公明党内では翌年の統一地方選挙に向けて知名度が高く安定感のある山口那津男の続投を望む声が高まっていた。
  • 2024年(令和6年)9月10日、世代交代を促すことを理由に、2024年(令和6年)9月18日に告示される公明党代表選挙に立候補しない意向を表明した。2024年(令和6年)9月28日に公明党代表を石井啓一(元国土交通大臣)に交代し、山口那津男は公明党の常任顧問に就任した。

人物[編集]

  • 気さくな人柄から公明党の支持母体である創価学会の「女性部」(旧婦人部)の人達からは人気が高くて「なっちゃん」というニックネームで呼ばれていた。