野田佳彦

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野田佳彦(のだ よしひこ Noda Yoshihiko)とは、立憲民主党に所属する議員。党代表を務めている。内閣総理大臣、財務大臣などを歴任した。

経歴[編集]

千葉県出身。早稲田大学卒業後、松下政経塾に入塾し政治について学ぶ。1987年に千葉県議会議員に立候補し当選した。1992年には当時の日本新党からの公認候補として立候補し当選。1996年の衆議院選挙では落選したものの、2000年の衆議院選挙では民主党から立候補し当選した。

2009年に成立した鳩山由紀夫内閣では財務副大臣に入閣。続く菅直人内閣では財務大臣となり、消費税の10&引き上げに尽力する。その後、菅内閣が東日本大震災時の対応の不備が原因で退陣すると、民主党代表選挙に立候補した。当初は不利な状態が続いていたものの、「ドジョウ演説」のおかげもあってか晴れて勝利し内閣総理大臣になった。

総理大臣就任後は東日本大震災の復興及び消費増税や国会運営の見直しを推進。2012年(平成24年)7月には消費税関連法を成立させることができたものの、同時期には閣僚の不祥事や消費増税問題も相まって支持率が低下。11月14日に行われた党首討論にて自由民主党総裁であった安倍晋三に「議員定数の削減を約束するのであれば、16日に解散する。」と宣言。安倍は明確な答えは出せなかったものの、予定通り16日に衆議院は解散する。12月に行われた衆議院選挙では自民党に大敗し、政権交代。野田は総理大臣の職を辞することになった。

総理大臣退任後、党の意向を無視した政治運営などが理由で批判を浴び、民主党は分裂状態となる。あまたの分裂・合併を経て元民主党は2019年に立憲民主党と国民民主党に集約されることになる。2020年に立憲民主党最高顧問に就任する。2022年の安倍晋三の死には国会内での追悼演説を打診され受理した。

2024年(令和6年)9月に行われた党代表選挙では、前代表の枝野茂と決戦投票を争い、立憲民主党代表に就任。12年ぶりに政党の代表に返り咲いた。

エピソード[編集]

  • 積極財政派ではあるものの、アベノミクスには反対している。
  • 2012年11月14日の党首討論は今でも語られる名演説となっている。

著書[編集]

  • 『民主の敵―政権交代に大義あり』新潮社 2009年
  • 『松下幸之助と私』(牛尾治朗・古賀伸明との共著)祥伝社新書 2019年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]