疎開
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疎開 (そかい)とは、様々な理由で危険な地域から人員や物資を安全な地域へ移動させることである。
概要[編集]
建物疎開、貴重品疎開などがあるが、大規模に行った、記録の多い疎開としては第一次世界大戦、第二次世界大戦での都市部に在住する小学生に対する学童疎開である。空襲や市街戦が起きた際、小学生の存在は足手まといになり、また、住民が全滅しても子孫を残すことができるといった事情で行われた。
歴史[編集]
組織的に行った疎開としては第一次世界大戦でドイツ軍による空襲を受けたイギリスによる学童疎開である。大規模に行った疎開としては第二次世界大戦でのイギリス、ソビエト社会主義共和国連邦、ドイツ第三帝国、大日本帝国の学童疎開である。
大日本帝国の疎開[編集]
日本本土空襲が現実化したため、イギリス在住だった官僚が現地で行われた学童疎開のやり方を研究し、これを元に行われた。当初は大都市のみであったが、全国の主要都市にも拡大した。旅館や寺院を貸し切って宿舎とし、授業や勤労奉仕をした。富山県では富山市と高岡市を除く全町村が学童疎開を受け入れた。中には疎開地が危険になり、別の地に移転した事例もあった。
例えば東京都から静岡県内に疎開したもののこの地が敵の上陸地点になる可能性が高くなると、青森県に疎開先を変更することになった。学童を乗せた列車が未明の品川駅に到着すると学童の母親らが我が子の名を叫びながら様々な物を列車の窓に投げ入れたという。この時、品川駅の駅長は列車の発車時刻を可能な限り遅らせたという。