全国電力関連産業労働組合総連合

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全国電力関連産業労働組合総連合(ぜんこくでんりょくかんれんさんぎょうろうどうくみあいそうれんごう、英語:The Federation of Electric Power Related Industry Worker's Unions of Japan)は、電力関連産業の産業別労働組合。略称は電力総連日本労働組合総連合会(連合)、インダストリオール日本化学エネルギー労働組合協議会(インダストリオール・JAF)に加盟している。

概要[編集]

日本の電力産業における唯一の産業別組織[1]。大手電力10社(北海道電力東北電力東京電力北陸電力中部電力関西電力中国電力四国電力九州電力沖縄電力)と日本原子力発電電源開発、その関連企業の企業別労働組合が加盟している。2021年9月時点の組織人員は203,605人で、連合の構成組織では10番目の規模[2]。本部所在地は東京都港区三田2-7-13 TDS三田3F。

1954年に全国電力労働組合連合会電労連。1978年に略称を電力労連に改称)として結成された。1981年に電工労連・全国電力検集労連・電保労連とともに全国電力関連産業労働組合総連合電力総連)を結成した。1993年に電力総連に加盟していた電力労連・電工労連・全国電力検集労連・電保労連の4単産が解散し、電力総連に組織を一本化した。

同盟に加盟していた電力労連の時代から労使協調路線、原子力発電推進の立場で知られる。政治的には民社党民主党民進党国民民主党(2018~2020)国民民主党(2020~)、党内の旧民社系グループである民社協会を支持しており、国会に組織内議員を擁している。木下武男によると、60年代には「労使癒着(協調)体制」が形成され、民主党になってから「原発推進が選挙で推薦するか否かの踏み絵になった」[3]東京新聞の「こちら特報部」によると、電力総連の政治工作により、2010年に民主党政権が発表した「新成長戦略」では原発輸出が柱の一つに打ち出された[3]。電力総連は2011年の福島第一原発事故後に開いた定期大会で「原発推進」の表現を削除したが、その後も原発推進の立場を変えていない[4]。なお原発で被ばく労働に従事する下請労働者はほとんどが末組織であるとされる。1974~1975年にかけて組合員から被ばく量の増加に対する不満が高まり、電力労連もこれを問題視したが、「原発推進に慎重な態度をとる幹部と原発推進に積極的な幹部の「内部抗争」」の結果、1975年8月の大会で後者が執行部を掌握したとされ、組合員の不満については「被ばく量の多い作業の担当を社員から下請け労働者に移すことで対処された」という[5]

電力労連は同盟会議議長代理の片山武夫、同盟書記長の前川一男の出身母体。電力総連は連合第4代会長の笹森清、連合第6代事務局長の南雲弘行の出身母体。笹森は連合で企業別組合主義の克服を目指す社会的労働運動路線を推進した。

沿革[編集]

1947年に日本発送電と9配電会社の労働者を組織する産業別単一組合として日本電気産業労働組合(電産)が結成されたが、1951年の電力9分割、1952年秋の電産ストに批判的な勢力の脱退によって弱体化し、1956年に中国地方本部(電産中国)を残して事実上解散した[6]。電産ストを通して電産から脱退した勢力が結成した企業別労働組合と、1949年に関東配電労働組合として結成された東京電力労働組合(東電労組)は、1954年5月26日に企業別連合体として全国電力労働組合連合会電労連。1978年に略称を電力労連に改称)を結成した[7][8]。1960年に全労会議に加盟、1964年に同盟に継続して加盟してその中心組合となった[1]。電力9社の組合のほか、1965年12月に日本原子力労働組合(原電労組)、1969年6月に電源開発労働組合(電発労組)、1966年6月に沖縄電力労働組合(沖縄電労)、1988年3月に原燃サービス労働組合(原燃サービス労組)、1989年10月に日本原燃産業労働組合(日本原燃産業労組)が参加した[9]

1969年4月11日に電力労連、日電工労連、全国電力検集労連、電工同盟の4単産が中心になり、9つの地方電労協を加盟単位とする全国電力関連産業労働組合協議会連絡会議(全国電労協。108組合178,742人)を結成した[10][11]。1981年3月26日に全国電労協は協議会から連合体に移行し、4つの全国組織(電力労連・電工労連・全国電力検集労連・電保労連)と10の地方電力総連を加盟単位とする全国電力関連産業労働組合総連合電力総連。129組合209,523人)を結成した[1][11]。電力労連は同盟傘下、電力総連は純中立だったが、1987年11月に民間連合、1989年11月に連合が発足すると電力総連として加盟した。電力総連の加盟単組の大半は全国組織と地方電力総連の二重加盟状態で活動していたため、1993年9月9日の第13回大会で全国組織を解散し、10の地域別組織と2つの職域組織を加盟単位とする電力総連(197組合約245,000人)に一本化した[1][11]。従来の産別組織の役割は業種別部会、業種別連絡会に引き継がれた[12]

一方、電産中国と1959年に九州電労から分裂した少数派組合である全九州電力労働組合(全九電)は、1965年に全日本電力労働組合協議会(全日本電力。約4,000人)を結成し、全日本電力として総評に加盟していた。1968年に北海道電労から分裂した全北海道電力労働組合全九州検針人集金人労働組合も全電力に参加した[6]。1989年に電力総連と全電力はともに連合の構成組織となり、1996年9月5日の電力総連・全電力統一大会で42年ぶりに産業別統一を実現した。新たな電力総連は224組合259,380人となった[11]

組織[編集]

構成組織[編集]

10の地域別組織と2つの職域別組織が構成単位となっており、約230の単組が加盟している[13]

  • 北海道電力関連産業労働組合総連合(北海道電力総連)
  • 東北電力関連産業労働組合総連合(東北電力総連)
  • 関東電力関連産業労働組合総連合(関東電力総連)
  • 中部電力関連産業労働組合総連合(中部電力総連)
  • 北陸電力関連産業労働組合総連合(北陸電力総連)
  • 関西電力関連産業労働組合総連合(関西電力総連)
  • 中国地方電力関連産業労働組合総連合(中国電力総連)
  • 四国電力関連産業労働組合総連合(四国電力総連)
  • 九州電力関連産業労働組合総連合(九州電力総連)
  • 沖縄電力関連産業労働組合総連合(沖縄電力総連)
  • 日本原子力発電関連企業労働組合総連合(原電総連)
  • 電源開発関連労働組合総連合(電発総連)

業種別部会・連絡会[編集]

加盟単組は業種別部会または業種別連絡会に所属している[14]。業種別部会に主要な組合が所属している[15]

業種別部会
業種別連絡会
  • 発電所保守部門
  • 設計・工事部門
  • 不動産・ビル管理部門
  • 環境・広告部門
  • 計器・電気機器部門
  • ポール・送配電線路部門
  • 発電・燃料部門
  • 交通・運輸部門
  • 情報・通信部門
  • サービス・一般部門

組織内議員[編集]

参議院議員[編集]

出典[編集]

  1. a b c d 厚生労働省労使関係担当参事官室編著『第2版 日本の労働組合――歴史と組織』日本労働研究機構、2002年、160-161頁
  2. 『連合』構成組織一覧PDF日本労働組合総連合会、2021年9月14日
  3. a b 「電力総連旗振り労使一体 原発推進方針変えず」『東京新聞』2011年6月18日付朝刊26面・27面
  4. 日本大百科全書(ニッポニカ)「全国電力関連産業労働組合総連合」の解説 コトバンク
  5. 鈴木玲原発推進派,反対派の労働組合は何を主張したのか――組合イデオロギーと「世界観」の分析PDF」『大原社会問題研究所雑誌』№647・648、2012年9月・10月、26頁
  6. a b 河西宏祐『電産本部資料』について――解説および目録――PDF」千葉大学教養部研究報告B-11、1978年11月
  7. 電労連(全国電力労働組合連合会)[労]1954.5.26 法政大学大原社会問題研究所
  8. ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「全国電力労働組合連合会」の解説 コトバンク
  9. 石幡信夫『日本の労働組合――歴史と組織』日本労働研究機構、1990年、217頁
  10. 法政大学大原社会問題研究所編『社会・労働運動大年表 第3巻』労働旬報社、1987年、295頁
  11. a b c d 名称・所在地・綱領・歴史 電力総連
  12. 電力総連(全国電力関連産業労働組合総連合)[労]1993.9.8 法政大学大原社会問題研究所
  13. 構成組織 電力総連
  14. 業種別部会・業種別連絡会 電力総連
  15. 岩崎馨『日本の労働組合――戦後の歩みとその特徴』改訂増補第4版、日本生産性本部生産性労働情報センター、2015年、37頁

関連項目[編集]

関連文献[編集]

  • 堀江邦夫『原発ジプシー』(現代書館、1979年/講談社文庫、1984年)
    • 改題・復刊『原発労働記』(講談社文庫、2011年)
    • 増補改訂版『原発ジプシー――被曝下請け労働者の記録』(現代書館、2017年)
  • 本田宏『脱原子力の運動と政治――日本のエネルギー政策の転換は可能か』(北海道大学図書刊行会、2005年)

外部リンク[編集]