劉備
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劉 備(りゅう び、161年 - 223年4月24日)は、後漢末期から三国時代にかけての蜀の武将・政治家。蜀漢の初代皇帝(在位:221年 - 223年4月24日)。字は玄徳(げんとく)。諡号は昭烈皇帝(しょうれつこうてい)。
生涯[編集]
出自[編集]
涿郡涿県(現在の河北省涿州)の出身。前漢の中山靖王・劉勝(景帝の子。武帝の異母兄)の末裔を称したが、これはかなり疑わしい。劉勝には120数人の子供がいたと言われており、それらの子孫がどうなったかなど全記録が残っているはずがないためである。一応、記録によると劉勝の子・劉貞が涿郡の陸城亭侯に封じられたが、礼を失して侯位を失い、そのまま涿県に住み着いたのが劉備の家系とされる。
若い頃[編集]
劉備の父は劉弘といい、東郡の范(現在の山東省梁山の西北)の令を務めていたが、劉備の幼少期に死去した。そのため母親が生計を立てざるを得ず、蓆や草鞋を編んだという。15歳の時、一族の有力者が劉備の力量を見込んで経済援助したため、盧植の下で公孫瓚らと共に学んだ。
人物像[編集]
小説『三国志演義』では前半から中盤における主人公のため、中国における理想の名君として描かれるなど、実像とかなり落差がある人物像が描かれている。演義では非の打ちどころのないピカピカな人物として描かれ、そのために彼と敵対した人物が実像以上に悪人に描かれるなど、正史とのギャップがかなり大きいと言わざるを得ない。なお、演義の有名な名場面である『桃園の誓い』は創作である。
在位中の元号[編集]
宗室[編集]
- 妻
- 子
- その他、二人の娘がいた[1]。
- 孫
- その他の血縁
劉備が登場する作品[編集]
- アニメ
- 人形劇
- テレビドラマ