三国時代 (中国)
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三国時代(さんごくじだい)とは、後漢末期に黄巾の乱が発生した184年から西晋が呉を滅ぼして中国を統一した戦乱の期間を指すのが一般的である。
三国時代の期間に関して[編集]
三国時代は明代に成立したベストセラー小説である『三国志演義』のため有名であるが、この時代がいつから始まりいつ終わったのかに関しては諸説がある。
まず始まりだが、これには諸説が多い。
次に終わりにも諸説が多い。
歴史[編集]
乱世への道[編集]
新末後漢初の戦乱を制覇した劉秀こと光武帝は漢王朝を再興した。これが後漢の起源である。後漢は光武帝の時代に国家の基礎を固めて全盛期を迎えた。
ところが、光武帝が崩御すると早くも凋落の気配を見せ始める。その最大の理由がこの王朝の歴代皇帝の余りの短命ぶりであった。光武帝が当時としては長命の60代まで生きたのに対し、後の皇帝は最後の献帝を除いていずれも40代、ひどい時では生まれて間もなくで崩御した例もある。このため直系血族への継承すら困難で、たびたび傍系血族が即位する事も少なくなかった。
後漢が儒教を国教にしていたのもまずかった。儒教は家族主義を建前としている。そして幼少で即位した皇帝には当然ながら統治能力は無く、それを補佐する、つまりは実質的な代理統治者が必要となる。そのため、政権は皇帝の外戚が掌握する例が相次いだ。成長した皇帝は当然、自らが親政したいと考えだす。だが外戚の勢力は強大でおいそれとはいかない。そこで外戚から権力を奪い返すのに自分の直属の近臣である宦官の助力を必要とした。