劉 諶(りゅう しん、? - 263年)は、三国時代の蜀の皇族。第2代皇帝・劉禅の5男。蜀の初代皇帝である劉備の孫。北地王の地位にあった[1]。
259年に北地王に封じられる[1]。263年の蜀滅亡の際、父帝が重臣の譙周の勧めで魏の鄧艾に降伏しようとしたため、劉諶は最後まで戦うべきと徹底抗戦を主張したが父帝に受け入れられずその日に祖父の墓前で慟哭すると、先に妻子を殺して自殺した[1]。側近はその死に涙を流したという[1]。
『三国志演義』では妻は崔氏で子供は3人とされ、史実同様に自殺しているが血の涙を流したとある。
- ↑ a b c d 小出『三国志武将事典』P352
参考文献[編集]