曹純
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曹 純(そう じゅん、? - 210年)は、中国の後漢末期の武将。字は子和(しわ)[1]。曹仁の同母弟[1]。曹操の従弟。子に曹演。孫に曹亮。
生涯[編集]
『英雄記』によれば父の曹熾は曹純が14歳の時に死去したため、曹仁と曹純は別居していたという。曹操に従って議郎・司空軍事を務め、袁紹一族との戦いでは虎豹騎を率いて袁紹の長男・袁譚を斬る武功を立てた[1]。さらに曹操の北方遠征に従軍し、敵の総大将である蹋頓を捕虜とした[1]。この功績で高陵亭侯に封じられて300戸を与えられる[1]。208年の長坂の戦いでは劉備を追撃してその娘を2人捕らえ、さらに多くの捕虜と輜重を虜にして江陵郡降伏に貢献した[1]。210年に死去[1]。文帝の時代に威侯の諡号が贈られた[1]。
『三国志演義』では赤壁の戦いで曹操が敗れた後、攻め込んできた周瑜率いる孫権軍との戦いに敗れ、趙雲に城を取られて敗走している。さらに史実での没年の翌年に起きた馬超との戦いに従軍している。