甘夫人
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甘 夫人(かん ふじん、? - 209年)は、中国の後漢末期の女性。後の三国時代の蜀の初代皇帝である劉備の側室。蜀の第2代皇帝である劉禅の生母[1]。
生涯[編集]
豫州沛国の出身[1]。劉備が豫州刺史として小沛にいた頃に側室になったという[1]。劉備は正室を失ったため、甘夫人が事実上の正室として奥向きのことを取り仕切っていたという[1]。207年、劉備が荊州に客将としていた時代に嫡男の劉禅を生んだ。208年の長坂の戦いでは劉備の家臣・趙雲に助けられた[1]。209年に死去[1]。
劉禅の生母であるため、222年に皇思夫人と諡号を贈られ、蜀に改葬された[1]。223年に劉備が崩御すると劉備の諡号である昭烈から昭烈皇后と諡号を贈られた[1]。このため、史書では「甘皇后」とされている[1]。
『三国志演義』では劉備の第1夫人で正室にされている[1]。糜夫人と行動を共にしており、劉備が荊州南部の4郡を平定した際に亡くなっている[1]。