劉永 (蜀漢)
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劉 永(りゅう えい、生没年不詳)は、三国時代の蜀の皇族。父は劉備、異母兄は劉禅。異母弟は劉理。字は公寿(こうじゅ)[1]。
生涯[編集]
劉備の次男[1]。221年に魯王に封じられる[1]。223年の劉備の崩御の際には諸葛亮を父と思って仕えるように遺言を受けた[1]。230年に甘陵王に改められる[1]。劉備と比べると凡庸と言われている。
劉永は宦官の黄皓と対立し、その黄皓に讒言されて劉禅から遠ざけられた上に10年以上も謁見を許されなかった[1]。263年に蜀滅亡により洛陽に移り、奉車都尉に任命される[1]。
『三国志演義』では母親は穆皇后(姓は呉氏、呉懿の妹)と設定され、その間に生まれた長男となっている。第85回で劉備の遺言を受けた後は登場しない。