京都所司代
京都所司代(きょうとしょしだい)とは、織田政権・豊臣政権・江戸幕府において存在した役職である。
概要[編集]
織豊政権[編集]
織田・豊臣政権の場合、鎌倉幕府の六波羅探題のように、主に京都の治安と行政、朝廷の監視、窓口を務めた。織田政権の場合は元亀4年(1573年)7月に室町幕府の第15代征夷大将軍・足利義昭が反乱を起こして織田信長に追放されたため、京都が実質的に織田氏の領土となったため、京都の治安や行政を行う立場になり、信長は家臣の村井貞勝を所司代に任命してその行政を担当させた。貞勝は信長の信任に応えて大いに敏腕を奮ったが、天正10年(1582年)6月の本能寺の変で信長・信忠父子に殉じて死去したため、織田政権による所司代は消滅した。
信長没後に台頭した羽柴秀吉により京都が支配下に置かれると、桑原貞成、杉原家次、浅野長政が短期間で所司代を担当し、そして前田玄以(石田三成や増田長盛が含まれる場合あり)が秀吉が死去する前後まで務めた。
江戸幕府[編集]
秀吉没後は徳川家康が京都伏見城で事実上政治を見たため、所司代は名目上の物となり、その権限は家康に吸収されていった。
そして慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで家康の覇権が確立すると、家康は所司代に娘婿の奥平信昌を任命し、ここに江戸幕府による京都所司代が誕生した。所司代の基礎は信昌の後を継いだ板倉勝重・重宗父子によりほぼ整備・完成した。
江戸幕府の場合は定員1名、官位は侍従に任命され、役目を果たすために知行が1万石加増されるのが通例だった。また所司代の職務も両政権と異なり、これらの上に西国大名の監察、京都諸役人の統率に当たった。後に町民、寺社の行政、裁判は京都町奉行に移管された。
江戸幕府で出世するための登竜門的な重職であり、大坂城代、奏者番、寺社奉行から就任する例が多かった。譜代大名が就任し、退任後は老中あるいは西の丸老中に栄進する例が多かった。京都や西国支配の重要な要であり、与力50騎、同心100人が付属された。しかし、幕末に所司代は力を失い、京都守護職にとって代わられて名誉職のような立場になる。そして慶応3年(1867年)12月をもって廃止となった。
歴代一覧[編集]
織田政権の歴代京都所司代[編集]
- 村井貞勝(1573年-1582年)
豊臣政権の歴代京都所司代[編集]
- 桑原貞成(1582年-1583年)
- 杉原家次(1582年-1583年)
- 浅野長政(1582年-1583年)
- 前田玄以(1583年-1600年)
- 石田三成(1595年?-1600年?)
- 増田長盛(1595年?-1600年?)
江戸幕府の歴代京都所司代[編集]
- 奥平信昌(1600年-1601年)
- 板倉勝重(1601年-1619年)
- 板倉重宗(1619年-1654年)
- 牧野親成(1654年-1668年)
- 板倉重矩(1668年-1670年)
- 永井尚庸(1670年-1677年)
- 戸田忠昌(1678年-1681年)
- 稲葉正往(1681年-1685年)
- 土屋政直(1685年-1687年)
- 内藤重頼(1687年-1690年)
- 松平信興(1690年-1691年)
- 小笠原長重(1691年-1697年)
- 松平信庸(1697年-1714年)
- 水野忠之(1714年-1717年)
- 松平忠周(1717年-1724年)
- 牧野英成(1724年-1734年)
- 土岐頼稔(1734年-1742年)
- 牧野貞通(1742年-1749年)
- 松平資訓(1749年-1752年)
- 酒井忠用(1752年-1756年)
- 松平輝高(1756年-1758年)
- 井上正経(1758年-1760年)
- 阿部正右(1760年-1764年)
- 阿部正允(1764年-1768年)
- 土井利里(1769年-1777年)
- 久世広明(1777年-1781年)
- 牧野貞長(1781年ー1784年)
- 戸田忠寛(1784年-1789年)
- 太田資愛(1789年-1792年)
- 堀田正順(1792年-1798年)
- 牧野忠精(1798年-1801年)
- 土井利厚(1801年-1802年)
- 青山忠裕(1802年-1804年)
- 稲葉正謖(1804年-1806年)
- 阿部正由(1806年-1808年)
- 酒井忠進(1808年-1815年)
- 大久保忠真(1815年-1818年)
- 松平乗寛(1818年-1822年)
- 内藤信敦(1823年-1825年)
- 松平康任(1825年-1826年)
- 水野忠邦(1826年-1828年)
- 松平宗発(1828年-1832年)
- 太田資始(1832年-1834年)
- 松平信順(1834年-1837年)
- 土井利位(1837年-1838年)
- 間部詮勝(1838年-1840年)
- 牧野忠雅(1840年-1843年)
- 酒井忠義(1843年-1850年)
- 内藤信親(1850年-1851年)
- 脇坂安宅(1851年-1857年)
- 本多忠民(1857年-1858年)
- 酒井忠義(1858年-1862年)
- 松平宗秀(1862年)※赴任できず。酒井忠績(1862年5月-9月)が代行。
- 牧野忠恭(1862年9月-1863年6月11日)
- 稲葉正邦(1863年-1864年)
- 松平定敬(1864年-1867年)