グアテマラ

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国旗

グアテマラ共和国(グアテマラきょうわこく、スペイン語: República de Guatemala)とは、中米7か国の北西部に位置する山がちな国の事である。政体は共和制。国土面積は10万9000平方キロ(日本本州の半分ほど)。人口2011年の時点で1382万4000人。人口密度は127.0人/㎢。首都グアテマラシティ(グアテマラ市)。グアテマラとはインディオの言葉であることは確認されているのだが、語源や意味に関しては諸説があり、有力説はナワトル語で「森の多い土地(quautemelan)」から転訛したというものである。

概要[編集]

歴史[編集]

古代マヤ文明の中心地として繁栄した。しかし1524年スペイン植民地となる。1821年に独立を宣言し、1823年中央アメリカ連邦加盟したが、1839年の連邦解体で単独の独立国家となった。しかし独立したとはいえ、アメリカからの影響力を強く受けており、また大地主や米国資本による寡頭政治が続いて、政権は安定せず1965年になって憲法公布している。

1961年、安定しない国情の中で貧富の差が拡大し、これが不満になって公平な富の分配を目的にして先住民による左翼ゲリラテロを開始した。当時の政権は親米派の軍事政権で、このテロに対してこともあろうにテロに参加していない先住民を強制的に徴兵して先住民同士を戦わせるという対応をとり、これにより大量虐殺が常態化するという異常事態になった。1996年12月29日、ゲリラの統一組織・グアテマラ民族革命連合(URNG)と当時のアルバロ・アルズ政権が包括的和平協定に調印したことにより、中米で最後まで続いていたグアテマラ内戦は35年をもってようやく終結した。この内戦により約20万人以上の死者と、15万人以上の難民が出たといわれており、犠牲者の大半はマヤ系先住民であったと見られている。

このような内戦の中で、亡命先のメキシコからマヤ系キチェ族出身の人権擁護運動家であるリゴベルタ・メンチューが現れ、亡命先で先住民の人権運動家のリーダーとして活躍し、その努力が認められて1992年ノーベル平和賞を受賞している。なお、受賞時の年齢は33歳という若さであり、これは世界史上最年少という快挙であった。

2008年1月、グアテマラ史上初となる中道左派のアルバロ・コロン大統領に就任した。

地理[編集]

グアテマラは34の火山(活火山は9つ)、火口湖が密集するシエラマドレ山脈が中央に走っており、地震の群発地として知られている。沿岸部は多湿な熱帯性であるが、高原部は温帯性の穏やかな気候である。首都・グアテマラシティの年平均気温は18.7度で、最高気温が5月の20.3度、最低気温は1月の17.0度であり、年間降水量は1036ミリである。

人口においては先住民のインディオが約4割を占めているが、これは中米諸国の中では圧倒的な数であり、そのためグアテマラは現在までインディオの強い風俗色彩を残している。

経済など[編集]

長く寡頭政治と内戦が続いたことから、貧富の差が激しい。ただ古代マヤ文明が繁栄した場所だけはあり、マヤ遺跡アティトラン湖インディオの伝統工芸品、ウィビル(貫頭衣)やコルテ(巻きスカートのこと)などの色彩豊かな民族衣装など、観光資源が豊富に存在しており、観光はこの国の重要な経済資源である。中でもグアテマラ北部にあるティカル遺跡はマヤ最大の都市遺跡として有名である。

主要産業は農業であり、中米随一の輸出量を誇るコーヒーの量は世界でも第8位。その他に綿花砂糖バナナなどを生産している。ただ、前述したように内戦などでまだ国土は疲弊しており、経常収支は先進国からの援助とアメリカを中心とする150万人以上の出稼ぎ労働者による送金で埋め合わせが行なわれている。

宗教[編集]

住民[編集]

  • 白人が8パーセント、ラディーノ(メスティソとスペイン語話者の先住民)が51パーセント。
  • インディオ(マヤ系など民族言語の先住民)が39パーセント。その他(ムラート・サンボなど)2パーセント[1]

言語[編集]

通貨単位[編集]

国内総生産[編集]

  • 1人当たり国内総生産は2888米ドル(2010年

外部リンク[編集]

グアテマラ政府[編集]

日本政府[編集]

その他[編集]

  1. Demographic of Guatemala(2020)