青函航路 (鉄道連絡船)
青函航路(せいかんこうろ)とは、かつて存在した青森県と北海道(函館市)間を4時間から5時間で結ぶ国鉄(当時は日本国有鉄道)およびJR北海道の鉄道連絡船の航路。
概要[編集]
本州と北海道を最短時間で結ぶために開設された。貨車を直接船内に積み込んで航走できるよう、専用の船舶を建造した。
沿革[編集]
明治41年(1908年)3月7日に開設された。当初は青森側にも函館側にも接岸できる施設が無く、はしけを使って乗り降りしていた。この連絡船は北海道の開拓や発展に貢献した。青森から函館間は113キロメートルあり、就航当時は1日2往復体制で運行されていた。その後、車両渡船によって飛躍的に輸送量を伸ばし、航空運賃も高額だったことから昭和47年(1972年)には1日30往復体制になっていた。
衰退・廃止へ[編集]
だが、航空輸送の発達と、1976年11月の国鉄運賃大幅値上げで航空運賃との差が縮まったことにより連絡船の需要は激減。1980年の千歳空港駅(初代)開業により、北海道の優等列車のダイヤの基準駅も函館駅から札幌駅にシフトし、さらに青函トンネルの開通に伴い、開通当日の1988年3月13日に廃止された。
運営[編集]
廃止時には普通船室、グリーン自由席、グリーン指定席、寝台室があった。連絡船の指定席や、乗り継ぎ列車の指定席を所有している旅客が優先的に乗船できた。
廃止に対する批評[編集]
最後に航路を運営したJR北海道としては、列車で収益を得たいことから、トンネル開通後の航路存続に消極的だった。
しかし、航路地元の青森市内の市民運動家の中には、トンネルと航路の併用を望んで青函連絡船廃止に反対し、東北新幹線盛岡開業後の青森の「通過都市」化の進行が促進されないことを希望する声もあったが、函館側での存続の機運が小さかったため、少数意見で終わってしまった。また、著述家&鉄道愛好家の宮脇俊三氏は青函トンネルで危険物輸送が困難なことから著書でJR貨物による存続の意見を持っていた。
こうした声は、その後の東日本フェリーの倒産(後述)や、快速「海峡」廃止や北海道新幹線開業によって安価な旅行ニーズの切り捨てが進むに連れ、「慧眼」の眼で見る人も出始めている。
鉄道航路以外[編集]
- 現在は青函航路で2社が運航中。これらのフェリーは、安価な運賃と自動車道が無いことから安定した需要があるが、トラックを中心に休息が長く取れる八戸〜苫小牧間のシルバーフェリーと競合している。
- 青函トンネル開業直後は東日本フェリーが青函間以外に、青森〜室蘭間、三厩〜福島間などで運航しており、1990年代にジェットフォイルおよび高速フェリーの「ゆにこん」を青函間で運航し、所要時間で鉄道に対抗したが、2003年に初代社が倒産。後継社も2008年9月に撤退した。