後鳥羽上皇行在所跡
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後鳥羽上皇行在所跡(ごとばじょうこうあんざいしょあと)とは、島根県隠岐郡海士町海士に存在する行在所跡である。
概要[編集]
現在、勝田山あるいは苅田山の名で呼ばれている小高い丘、これがかつて後鳥羽上皇の行在所があった場所である。
後鳥羽上皇は源実朝が横死すると、鎌倉の北条義時を倒して、政権を自己の勢力のもとに取り戻そうとして承久3年(1221年)に承久の乱を引き起こした。しかし、当てにしていた三浦義村らが味方に付かず、義時・泰時父子の前に敗れて後鳥羽上皇は捕縛され、隠岐国に流罪とされ、以後はここで配所の生活を過ごした。かつてはこの場所に源福寺(げんぷくじ)という寺院があり、この寺院が上皇が崩御するまでの19年間を過ごした場所であった。この寺は明治時代の廃仏毀釈によって廃寺となり、現在は杉の木の中に礎石と石標が立つのみとなっている。