戸田武雄
戸田 武雄(とだ たけお、1905年12月10日[1] - 1993年)は、マルクス経済学者。
経歴[編集]
静岡市追手町生まれ。入新井中学校、麻布中学校、第一高等学校卒業[2]。1930年東京帝国大学経済学部経済学科卒業[3]。学部で河合栄治郎の演習に参加[2]。学部卒業後は大学院特選給費生[4]。1932年5月に尾高邦雄、清水幾太郎、安西文夫、池島重信、小松摂郎、馬場啓之助、宮田秀雄と東京社会科学研究所を設立[5]。1933年東京帝国大学河合教授助手[4]。1934年1月に大森署で取調べ・拷問を受け、1年ほどして不起訴となった。「斯うして私とは余りかかわりのないある政党とか「発達史講座」の指導者との関連の嫌疑であったろうか」と推測している[2]。また「9年の11月と10年の2月、自宅で、また銚子へ旅行したとき一生忘れられない警察の「襲撃」をうけて、死にそこない、生命びろいをした」と述べている[2]。1935年5月東京電機学校講師。同年10月埼玉県県庁嘱託。商工課企業経営研究会理事。1936年東京帝国大学河合教授助手。1937年東京帝国大学附属図書館研究室助手。1940年上智大学商学部助教授[4]。経済原論と財政学を担当[2]。立教大学経済学部講師を兼任(約3年間)[2][4]。1941年上智大学商学部教授[4]。上智に赴任してから河合と次第に疎遠になり、代わって三木清、戸坂潤、本多謙三から哲学を学ぶ[2]。1945年徳山曹達経理課調査課勤務[4]。
敗戦後、ソヴェト研究者協会に参加。1946年中央大学経済学部講師(1953年まで)、明治学院講師(1948年まで)、明治大学講師(政経・商学・専門部。1952年まで)。中央大学で教員適格審査に合格するが、教授にはなれなかった[2]。1949年立正大学文学部教授。大東文化専門学校および東京文政大学(のち大東文化大学)教授、講師(1961年まで)。1950年立正大学短期大学部教授。静岡大学文理学部非常勤講師[4]。この間、民主主義科学者協会(民科)の評議員[6]や経済部会の幹事を務める。『講座資本論の解明(全5冊)』(民主主義科学者協会、全日本学生社研連合編、理論社 1951-52年)のグループに属す[2]。
1951年静岡大学文理学部教授。この間、静岡県立法経短期大学設立準備委員(1952年)、静岡県立法経短期大学講師(1952-63年)、日本学術会議中部第四期会員(1956年)、静岡県環境衛生適性化審議会委員(1958-60年)、静岡県労働問題審議会委員・委員長(1959-61年)を務めた[4]。労働問題審議会委委員として労政事務所と連絡して県下の労働者や教職員の経済学学習の講義を担当し、県職の社会主義協会の経済学、清水の警察学校の講師も兼任した[2]。1956年「経済社会学原理」で経済学博士(専修大学)[7]。1959年の経済理論学会の設立に発起人として参加。講座派でも労農派でもない立場から『経済原論』(勁草書房、1956年)、『続 経済原論』(勁草書房、1961年)、『「資本論」と日本経済』(法政大学出版局、1961年)を刊行する[2]。
1962年高崎経済大学教授。1963年まで財政学を担当し、1963年から経済原論と経済学史を担当[2]。静岡大学文理学部非常勤講師を兼任。1963年高崎経済大学附属図書館長(兼務)。1965年高崎経済大学後援会評議員。1966年駒沢大学経済学部教授、同大学院教授[4]。経済原論を担当。1967年と1968年に日ソ文化協会の関係でソ連を訪問[2]。1981-83年駒沢大学経済学部経済学研究科大学院委員長。1983年停年退職[4]。
人物[編集]
戦前から大学で経済学と経済原論を講じるかたわら、「経済学と社会学との交渉」をテーマとした論文を多数発表した[8]。ゾンバルト、ウェーバー、シュモラー、メンガー、特にドイツ歴史学派の学説紹介や翻訳で業績を残した[9][10]。河合栄治郎門下の俊秀といわれるが[9]、河合とは疎遠になり、自身では「不肖の弟子」だと述べている[2]。河合編『学生と読書』(日本評論社、1938年)に「読書の回顧(社会科学)」を執筆している。1973年に「マックス・アドラー文献案内」で「1927年から30年まで東大経済学部での演習で、経済学とともに社会学の勉強を命ぜられ、当時すでに舞出・土方論争というようなもので、マルクス経済学についてある種の確信をもっていた私は、指導教授のきびしい観念論の制約の内にあって、当然のことながらオーストリア・マルクス主義に興味をもち、そこでのマックス・アドラーの「社会学」に注意をひかれた」と述べている[11]。
マルクス経済学者として向坂逸郎の地代論や新封建派(神山茂夫、豊田四郎、浅田光輝、中村秀一郎ら)の日本資本主義分析に一定の評価を与えたが、山田盛太郎の再生産論、宇野理論、久留間理論には批判的だった。また回想で「なお静岡の時代には、黒田寛一、梯明秀等との間に、若干の交渉を生じたが、これについては森信成、『史的唯物論の根本問題』(1979、新泉社)や『マルクス主義と自由』(1968、合同出版)の見地が正しい」と述べている[2]。
経済史学者の大塚久雄[12]、哲学者・神学者の滝沢克己は友人[2]。
思想運動研究所編『大学教授紳士録・左翼篇――全国244大学・学部別総点検』(全貌社、1984年)によると、「平和と革新をめざす東京懇話会」設立よびかけに賛同(1981年1月)。1981年5月の東京都議選で共産党支持のよびかけ人。1983年6月の参院選で共産党を支持(『赤旗』1983年6月15日付)。
著書[編集]
単著[編集]
- 『機械の経済学』(刀江書院[社会哲学叢書]、1936年/刀江書院、増補1943年)
- 『經濟哲学(上・下)』(三笠書房[現代學藝全書]、1941-42年)
- 『計畫經濟と職能倫理』(國際書房、1941年)
- 『現代の經濟學』(國際書房、1942年)
- 『經濟學の展望』(國際書房、1942年)
- 『財政』(白揚社[現代生活群書]、1943年)
- 『経済学――経済原論ノート(1)』(新地館、1947年)
- 『經濟と政治』(實業之日本社、1947年)
- 『ウェーバーとゾムバルト』(日本評論社、1948年)
- 『マックス・ウェーバー批判』(鱒書房、1948年)
- 『近代經濟學の形成』(銀座出版社、1948年)
- 『經濟學原理』(明治大學學生雑誌部[駿台叢書]、1948年)
- 『經濟學と市民革命』(青木書店、1948年)
- 『經濟思想史――經濟學の成立するまで』(ニュー・カレント社[ニュー・カレントシリーズ]、1949年)
- 『マックス・ウェーバーの生涯と學説』(有斐閣、1950年)
- 『近代經濟學批判』(青木書店[青木文庫]、1952年)
- 『経濟學史ノート』(カレント社[New Current series]、1953年)
- 『經濟社會學原理』(勁草書房[勁草全書]、1954年)
- 『経済原論』(勁草書房[勁草全書]、1956年)
- 『続 経済原論』(勁草書房[勁草全書]、1961年)
- 『「資本論」と日本経済――経済学入門』(法政大学出版局、1961年、改訂増補版1975年)
- 『世界経済と日本経済――続・経済学入門』(法政大学出版局、1962年)
- 『経済学史のはなし』(泉文堂、1965年)
- 『経済原論講義』(法政大学出版局、1967年)
- 『新版 経済原論』(学文社、1971年、改訂第1版1975年、第2次増訂第2版1981年)
- 『現代資本主義と資本論』(白桃書房、1984年)
共著[編集]
- 『現代思想概觀』(樺俊雄、亀井勝一郎、滝口修造共著、三笠書房[現代思想新書]、1939年)
監修[編集]
- 佐藤武男、小野俊夫編『図説経済学体系 1 経済学』(学文社、1979年)
訳書[編集]
- カール・メンガー『社会科学の方法に關する研究』(日本評論社、1937年)
- マックス・ウェーバー『社會科學と價値判斷の諸問題』(有斐閣[經濟學名著飜譯叢書]、1937年)
- グスターフ・フォン・シュモラー『國民經濟、國民經済學及び方法』(有斐閣[經濟學名著飜譯叢書]、1938年)
- グスターフ・フォン・シュモラー『法及び國民經濟の根本問題』(有斐閣[經濟學名著飜譯叢書]、1939年)
- パレート『歴史と社會均衡』(三笠書房[現代思想全書]、1939年)
- ェルナー・ゾムバルト『社會政策の理想』(有斐閣[經濟學名著飜譯叢書]、1939年)
- オットマール・シュパン『現代經濟學の危機』(三笠書房[現代思想新書]、1940年)
- J.ロビンソン『マルクス經濟學』(赤谷良雄共訳、有斐閣、1951年)
出典[編集]
- ↑ 『現代人名情報事典』平凡社、1987年
- ↑ a b c d e f g h i j k l m n o p 戸田武雄「経済学50年(PDF)」『駒沢大学経済学論集』第15巻第3・4号、1984年2月
- ↑ 戸田武雄『経済学史のはなし』泉文堂、1965年
- ↑ a b c d e f g h i j 「戸田武雄先生略歴・著述目録(PDF)」『駒沢大学経済学論集』第15巻第3・4号、1984年2月
- ↑ 福島新吾「社会科学としての政治学の発足」『専修大学社会科学研究所月報』第135号、1974年12月
- ↑ 民主主義科学者協会編『科学年鑑 2(1947.5-1948.4)』日本科学社、1947-48年
- ↑ CiNii 博士論文
- ↑ 森村勝「戸田武雄著 経済社会学原理(PDF)」『社会学評論』第5巻第4号、1955年
- ↑ a b ジャーナリスト研究会編『現代日本新人物事典――大臣からファッション・モデルまで 1956年度版』近代社、1955年
- ↑ 平凡社編『現代日本人名事典』平凡社、1955年
- ↑ 戸田武雄「マックス・アドラー文献案内」『季刊社会思想』第3巻第2号、1973年8月
- ↑ 大塚久雄『生活の貧しさと心の貧しさ』みすず書房、1978年