福島新吾
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福島 新吾(ふくしま しんご、1921年5月2日 - 2013年5月1日)は、政治学者[1]。専修大学名誉教授。
経歴[編集]
東京市四谷区生まれ[2]。父は実業家の福島喜三次。母方の祖父が外交官の杉村濬、伯父が外交官の杉村陽太郎であったため、外交官を志す。1942年東京帝国大学法学部に入学。1943年冬の学徒出陣に参加。病気のため1年で陸軍から復員。1945年5月に外務省嘱託となり(辞令は6月)、調査局第一課兼第三課に勤務。同年9月に復学[3]。1947年東京帝国大学法学部政治学科卒[2]。1947年4月-1954年3月東京大学社会科学研究所助手[4]。この間、丸山眞男の薫陶を得る[5]。
1954年より専修大学法学部勤務[6]。1960年法学部教授。1975年法学部長[2]。1992年退職[7]、名誉教授[6]。
軍事力や警察力の側面から政治を研究し[5]、非武装政策を主張したり[8]、1978年の社会党第42回大会で設置された社会主義理論センターの座長格に大内秀明とともに起用されたりするなど[9]、社会党の理論政策にかかわった[8]。1975年に藤井治夫、五味川純平らと「軍事問題研究会」を設立し[10]、代表理事[11]、顧問を務めた[5]。日本平和学会会長[1]、「九条科学者の会」呼びかけ人も務めた[12]。
2013年5月1日、肺炎のため死去、91歳[13]。
著書[編集]
単著[編集]
- 『非武装の追求――現代政治における軍事力』(サイマル出版会[サイマル双書]、1969年)
- 『日本の「防衛」政策』(東京大学出版会、1981年)
- 『非武装のための軍事研究――戦争と平和の論理』(彩流社、1982年)
- 『日本の政治指導と課題の詳細』(未來社、1992年)
- 『「学徒出陣」落第記』(オリジン出版センター、1993年)
- 『時代との対話』(西田書店、1998年)
共著[編集]
- 『核・軍縮問題のわかる本――核戦争が近づいている 軍縮への道』(藤井治夫共著、労働教育センター[総評文庫]、1982年)
編著[編集]
- 『大井憲太郎の研究』(平野義太郎共編著、風媒社[『馬城大井憲太郎傳』別冊]、1968年)
出典[編集]
- ↑ a b デジタル版 日本人名大辞典+Plus「福島新吾」の解説 コトバンク
- ↑ a b c 日外アソシエーツ編『現代日本人名録 1998 4. ひろ~わ』日外アソシエーツ、1998年
- ↑ 福島新吾「体験戦後史――1945~47――」『専修大学社会科学研究所月報』No.478、2003年4月
- ↑ 社会科学研究所助手一覧 東京大学社会科学研究所
- ↑ a b c 「表現の自由」研究会編著『現代マスコミ人物事典』二十一世紀書院、1989年、534頁
- ↑ a b 福島新吾『日本の政治指導と課題の詳細』未來社、1992年
- ↑ 高橋忠次郎教授・佐々木金三教授・福島新吾教授・池田文雄教授・高柳信一教授・小林直樹教授退職記念号
- ↑ a b 福島新吾さん死去 朝日新聞デジタル、2013年5月3日
- ↑ 前田和男「「新宣言」に連合政権論を盛り込む」『図書新聞』No.2909、2009年3月14日
- ↑ 藤井治夫『自衛隊に赤信号――日本防衛の深層を抉る』オリジン出版センター、1989年
- ↑ 軍事問題研究会編『有事立法が狙うもの』三一書房、1978年
- ↑ 「九条科学者の会」呼びかけ人メッセージ (2005.3.13) 九条科学者の会
- ↑ 訃報:福島新吾さん91歳=専修大名誉教授 毎日jp