神山茂夫

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神山 茂夫(かみやま しげお、1905年2月1日 - 1974年7月8日)は、社会運動家、政治家、評論家。元・日本共産党中央委員、衆議院議員。妻は神山ハナ、弟は神山利夫

経歴[編集]

山口県下関市伊崎町生まれ。小学校4年のとき一家で台湾に移住。家が貧しく新聞配達などをしながら台北の小学校を卒業。台湾銀行の給仕になり、台湾中学会(夜間中学)で学ぶ。1921年上京して成城中学校3年に編入し、在学中に社会主義に目覚めた。1924年卒業後は台湾に戻って台湾製糖台北工場の雑役工、台湾鉄道の雇員になり、この間、日本人、台湾人の社会主義者やアナキストと交流を持った。一年志願兵として入営し、病気で現役免除になった後は台湾営林署の雇員になった。1927年革命運動を志して上京し、土工などをしながらアナルコ・サンジカリズム系の江東自由労働者組合で活動。同組合はマルクス主義系の東京自由労働者組合に発展し、さらに全国労働組合協議会(全協)傘下の関東自由労働者組合と合同。東京自由労働者組合で芝浦支部役員、組織部長、関東自由労働者組合で書記長、委員長を歴任。

1929年四・一六事件の直後に日本共産党に入党。1930年6月関東自由労働者組合書記長として全協指導部の極左的方針に反対し、南巌佐藤秀一内野壮児らと全協刷新同盟(刷同)を結成。8月のプロフィンテルン第5回大会の決定に基づく刷同の解散後は、委員長をしていた関東自由労働者組合を解散し全協に復帰。1935年7月に検挙されたが、1936年11月偽装転向で出所、ただちに党再建運動を始め、『天皇制に関する理論的諸問題』『現在の諸情勢と日本労働者階級の基本的任務』などの秘密文書を執筆。1941年5月に再検挙され、1942年5月から巣鴨拘置所、1945年6月から豊多摩刑務所に入所、非転向で敗戦を迎えた。

敗戦後の1945年10月9日夜に出所し、まもなく徳田球一志賀義雄金天海宮本顕治袴田里見黒木重徳とともに日本共産党拡大強化促進委員会を結成。1945年12月の第4回党大会で中央委員に選出され、農民部長、労働組合部長を兼任。社共の統一戦線、大衆団体の統一を重視する立場をとり、次第に徳田、志賀らの方針と対立。1946年1月野坂参三帰国直後の集会で組織活動指導部の第二代理に異動し、農民部長は伊藤律、労働組合部長は長谷川浩に交替。1946年2月の第5回党大会時は宣伝教育部長[1]。4月の第22回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補した黒木重徳が急死したため、その後任として立候補したが落選。1947年12月の第6回大会の革命戦略論争では民族解放革命を主張。1947年から1948年にかけて日本帝国主義の本質規定をめぐり志賀義雄と「志賀・神山論争」を展開し、神山は軍事的・封建的帝国主義と近代的・資本主義的帝国主義の「二重の帝国主義」論、志賀は「天皇制ファシズム」論を主張。1949年1月の第24回衆議院議員総選挙に東京5区から立候補し初当選。1950年6月6日にマッカーサー指令で公職追放。その後、1958年・60年・63年と総選挙に東京5区から立候補したが、いずれも当選できなかった。

共産党が分裂した「50年問題」では所感派にも国際派にも属さず、神山派と呼ばれるグループを率いた。1954年9月20日付で分派活動で党を除名され、神山の協力分子とされた茂木六郎浅田光輝川島優小山弘健渡部徹新井吉生寺尾五郎の7名には「全党が断固として闘うべきこと」が決定され、9月27日の『アカハタ』で発表された[2]。1956年10月にハンガリー革命が起きるとソ連出兵を支持、遠山景久・小山弘健・松田政男はソ連出兵絶対反対の意見書を神山に出し、神山派を離れた[3]。1958年に復党。

1960年代には中央委員ではあったが、1964年に部分的核実験禁止条約に賛成して志賀義雄・鈴木市蔵中野重治とともに除名された。志賀・鈴木・中野とともにソ連支持の「日本共産党(日本のこえ)」を結成。1965年の第7回参議院議員通常選挙には東京地方区から立候補するも落選する。1967年に中野重治とともに志賀とたもとを分かち、雑誌「通信方位」に拠って日本共産党批判を最期まで続けた。1974年没。中野重治が弔辞を読んだ。

著書[編集]

単著[編集]

  • 『祖国を愛する道』(岩崎書店、1947年)
  • 『天皇制に関する理論的諸問題』(民主評論社、1947年/葦会、1953年/葦出版新社、1956年/三一書房[三一選書]、1970年/津田道夫編・解説、こぶし書房[こぶし文庫 戦後日本思想の原点]、2003年)
  • 『日本農業における資本主義の発達――主として講座派農業理論に関する覚書』(実業之日本社、1947年/民主評論社、1948年/社会書房、1953年)
  • 『日本資本主義分析の基本問題』(岩崎書店、1947年)
  • 『人民的民主主義の諸問題』(同友社、1947年)
  • 『古きもの・新しきもの』(社会書房、1948年)
  • 『愛と闘いと』(思潮書林編集部編集、思潮書林、1948年)
  • 『民族・階級・独立』(岩崎書店、1948年)
  • 『死もまた凉し』(浅間書房、1948年)
  • 『日本に於ける革命運動の基本問題』(民主評論社、1948年)
  • 『民同派労働組合論批判――山川均細谷松太理論の正体』(暁明社[宣伝教育群書]、1948年)
  • 『革命理論の深化のために』(暁明社、1949年)
  • 『激流に抗して』(潮流社、1949年)
  • 『戦争――原子爆弾に打ちかつもの』(伊藤書店、1949年)
  • 『民族観・民族問題の基礎知識』(世界評論社[新しい知識講座]、1949年)
  • 『暴力と共産主義』(三一書房、1949年)
  • 『日本的悲劇の克服のために』(三一書房、1949年)
  • 『国家理論』(岩崎書店[岩崎真理叢書]、1950年)
  • 『愛と真実に生きよ――神山茂夫獄中書簡』(磯部静子編、安芸書房、1950年)
  • 『現代日本国家の史的究明――続・天皇制に関する理論的諸問題』(葦会、1953年)
  • 『新天皇論』(新科学社[新科学の基礎知識]、1953年)
  • 『統一戦線戦術の諸問題』(新科学社[新科学の基礎知識]、1953年)
  • 『戦後日本国家の諸問題』(青木書店、1953年)
  • 『民族問題入門』(青木書店[青木新書]、1954年)
  • 『戦争と弾圧に抗して――満州事変下の日本の革命運動』(青木書店[青木文庫]、1954年)
  • 『除名取消要請書(正・続)』(神山茂夫、1954年)
  • 『除名をかけた私の直言――日本革命の前進のために』(創造社、1954年)
  • 『国家論入門』(和光社[現代選書]、1955年)
  • 『戦後における日本の農業問題』(青木書店、1955年)
  • 『平和運動の理論』(隆文堂出版、1956年)
  • 『解説・日本革命――“スターリン批判"後の新課題について』(自由国民社、1956年)
  • 『革命家』(長嶋書房、1956年)
  • 『日本革命綱領論争――日本共産党の危機克服と党建設のために』(新興出版社、1957年)
  • 『日本の中立化と独立』(新読書社出版部、1959年)
  • 『真実に生きよ――獄中書簡集』(新読書社出版部、1960年)
  • 『安保闘争と統一戦線』(新読書社出版部、1960年)
  • 『愛する者へ――神山茂夫獄中記録』(飯塚書店、1963年)
  • 『日共指導部に与う――国際共産主義の総路線を守って(正・続)』(刀江書院、1964年)
  • 『風雪の中で(正・続)』(刀江書院、1965年)
  • 『「自主独立」路線の正体』(刀江書院、1966年)
  • 『宮本顕治派の変節――日本共産党批判』(広済堂出版、1970年)
  • 『日本共産党とは何であるか』(自由国民社、1972年)
  • 『わが遺書』(現代評論社、1975年)
  • 『神山茂夫著作集(全4巻)』(三一書房、1975年)

編著[編集]

  • 『われらは弾劾する――真実と真理のあかしのために』(創造社、1955年)
  • 『日本共産党批判』(中野重治共編著、三一書房、1969年)
  • 『日本共産党戦後重要資料集(全3巻・別冊)』(三一書房、1971年)
  • 『海洋汚染』(古屋能子共編著、三一書房[三一新書]、1973年)

脚注[編集]

  1. 出版部長、青年部長、市民対策部長も歴任。
  2. 小山弘健著、津田道夫編・解説『戦後日本共産党史――党内闘争の歴史』こぶし書房(こぶし文庫)、2008年、199頁
  3. 絓秀実、井土紀州、松田政男西部邁、柄谷行人、津村喬、花咲政之輔、上野昂志、丹生谷貴志『LEFT ALONE――持続するニューレフトの「68年革命」』明石書店、2005年、44頁

参考文献[編集]

  • 朝日新聞社編『現代人物事典』朝日新聞社、1977年
  • 神山茂夫『日本共産党とは何であるか』自由国民社、1972年
  • 現代革命運動事典編集委員会編『現代革命運動事典』流動出版、1981年
  • 小山弘健『増補 戦後日本共産党史』芳賀書店、1972年
  • 塩田庄兵衛編集代表『日本社会運動人名辞典』青木書店、1979年
  • 長岡新吉「二重の帝国主義」論の成立-1-」『経済学研究』30巻1号、北海道大学經濟學部、1980年
  • 長岡新吉「二重の帝国主義」論の成立-2-」『経済学研究』30巻3号、北海道大学經濟學部、1980年
  • 中野重治、神山茂夫編著『日本共産党批判』三一書房、1969年
  • 日本アナキズム運動人名事典編集委員会編『日本アナキズム運動人名事典』ぱる出版、2004年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]