豊田四郎 (経済学者)
豊田 四郎(とよだ しろう、1914年10月19日[1] - ?)は、日本の経済学者。日本共産党中央委員会名誉役員。
経歴[編集]
東京都日本橋区(現・中央区)箱崎町生まれ。1939年慶応義塾大学経済学部卒。1940年9月時点で藤林敬三慶大教授の助手を務め、技術論を専攻。1943年9月慶大講師のとき治安維持法違反で検挙[2][3]。
1945年から金融経済研究所で研究を続け、戦後慶大に復職し助教授となるが、病気再発のため数年間療養所で過ごす[3]。戦後まもなく浅田光輝らと日本経済機構研究所を設立し[4]、神山茂夫の講座派批判の立場から、農民分解論や中小企業論などの分野で業績を挙げた[5][6]。戦時中に大塚久雄の「大塚史学」の影響を受けて「幕末=分散マニュファクチュア論」を提起したが[7]、戦後は大塚史学批判の急先鋒となった[8]。1957年に小野義彦が自立論を展開し従属経済論を批判すると、今井則義(後に構造改革派)、上田耕一郎、守屋典郎らと共に従属経済論の立場から反論を行った(日本帝国主義復活論争)[9]。
1960年から1990年まで日本共産党中央役員を務めた[3]。中央委員候補を経て、1966年中央委員・書記局員候補、中央教育宣伝部長[10]。1997年9月の第21回党大会時点では中央委員会顧問[11]。2000年11月の第22回党大会で中央委員会名誉役員に承認された[12]。2004年1月の第23回党大会でも再承認されているが[13]、2006年1月の第24回党大会では承認されていない[14]。杉本俊朗は『東アジア四千年の永続農業』(2009年1月)の訳者あとがきで「四年前に九〇歳で亡くなった」と述べており[2]、2004年から2005年の間に亡くなったと見られる。
人物[編集]
ジャーナリストの岩垂弘は、1960年代後半に書記局員候補だった豊田について、「慶應義塾大学経済学部の助教授(専攻は経済学)を辞し、中央労働学院講師、民主主義科学者協会評議員などを経て、党本部の宣伝部長となった」「その誠実な応対ぶりは記者の間でも評判がよかった」と述べている[15]。
妻の豊田さやかも日本共産党中央委員[16]、のち名誉役員[11]。
著書[編集]
単著[編集]
- 『日本資本主義構造の理論』 思潮書林、1948年
- 『社會經濟史學の根本問題――史的唯物論と「大塚」史學』 研進社、1948年
- 『日本中小工業論の成果』 青木書店、1948年
- 『日本資本主義構造の理論』 岩崎書店、1949年
- 『日本資本主義發達史』 労働文化社(現代經濟學全書)、1950年
- 『經濟學教程』 青木書店(青木文庫)、1951年、改訂版1952年
- 『わが闘病の明暗』 白揚社、1951年
- 『日本資本主義發達史 上』 青木書店(青木文庫)、1952年
- 『日本軍国主義の復活――戦争と平和の理論 スターリン論文研究』 青木書店(社会科学選書)、1954年
- 『経済学の独習』 青木書店(青木新書)、1955年
- 『日本資本主義論争批判 第1巻 資本蓄積と市場の理論』 東洋経済新報社、1958年
- 『日本資本主義論争批判 第2巻 日本資本主義構造論争』 東洋経済新報社、1958年
- 『日本資本主義論争批判 第3巻 日本帝国主義復活の諸問題』 東洋経済新報社、1959年
- 『日本資本主義と軍国主義復活の諸問題』 新日本出版社、1966年
- 『メモワール日本資本主義論』 光陽出版社、2003年
- 『【草稿】「ネオ・マルクス主義」国家論の検討』 光陽出版社、2004年
共著[編集]
- 『日本革命の新しい道――共産党新綱領の問題点』 片山さとし、高倉弘、一柳茂次、石堂清倫共著、大月書店、1957年
- 『社会科学入門――あたらしい学問のあり方』 高橋庄治、高野実ほか共著、合同出版社(合同新書)、1958年
- 『現代史入門』 佐藤昇共著、合同出版社(合同新書)、1958年
編書[編集]
- 『マルクス經濟學辭典』 青木書店(青木文庫)、1956年
- 『西ドイツにおける帝国主義の復活』 新興出版社、1957年
- 『現代資本主義と窮乏化法則』 大月書店(現代資本主義双書)、1957年
- 『風のごとく――豊田さやか追悼・遺稿集』 豊田四郎、2000年
訳書[編集]
- レーニン『ロシアにおける資本主義の発展(全3冊)』 飯田貫一共訳、国民文庫社(国民文庫)、1955年
脚注[編集]
- ↑ 平凡社教育産業センター編『現代人名情報事典』平凡社、1987年、690頁
- ↑ a b 杉本俊朗「復刊版への訳者あとがき」農文協
- ↑ a b c 「ネオ・マルクス主義」国家論の検討 / 豊田 四郎【著】 紀伊國屋書店ウェブストア
- ↑ 浅田光輝(あさだ みつてる)とは コトバンク
- ↑ 浅田毅衛「日本農民分解論争史--賃労働史研究のための一試論」『明大商学論叢』44巻5号、1961年3月
- ↑ 出家健治「中小企業の研究対象と研究方法ならびに問題意識と問題視角について : 中小企業の理論体系化の喪失と研究の流れ星化 (川上義明教授 退任記念号)」『福岡大學商學論叢』63巻3・4号、2019年3月
- ↑ マニュファクチュア論争(マニュファクチュアろんそう)とは コトバンク
- ↑ 恒木健太郎『「思想」としての大塚史学――戦後啓蒙と日本現代史』新泉社、2013年
- ↑ 菱山郁朗「七-(3)―現代日本資本主義論争と『構造改革論』―」江田五月
- ↑ 渡部富哉監修、伊藤律書簡集刊行委員会編『生還者の証言――伊藤律書簡集』五月書房、1999年、349頁
- ↑ a b 名誉役員と顧問を承認 しんぶん赤旗(1997年9月26日)
- ↑ 第22回党大会で承認された名誉役員 しんぶん赤旗(2000年11月24日)
- ↑ 第23回党大会で承認された名誉役員 しんぶん赤旗(2004年1月18日)
- ↑ 第24回党大会で承認された名誉役員 しんぶん赤旗(2006年1月15日)
- ↑ 岩垂弘「もの書きを目指す人びとへ 第2部 社会部記者の現場から 第54回 続・共産党幹部の素顔」Econfn
- ↑ 『袴田里見のウソと転落』日本共産党中央委員会出版局、1979年