少女ヌード写真集

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少女ヌード写真集(しょうじょヌードしゃしんしゅう)は、一般に18歳未満の少女の裸体を表現した写真集である。18歳という年齢が一応の区切りとなる根拠は、18歳未満の蒼い果実の中身を開示する行為は児童福祉法34条に違反する可能性があること[1]1999年児ポ法7条によって[1]直接禁止されていることなどが挙げられる。

概要[編集]

1970年代初頭にオランダデンマークでポルノが解禁されると、そのサブジャンルとして児童ポルノもまた出現したが[2]、そうした作品が少女と成人男性の性交を露出したものだったのに対し、日本における少女ヌードは基本的に裸体の鑑賞に留まっていた[3]。かつての日本では陰毛の描写を禁じられていたため、そもそも陰毛のない(剃毛を含む)少女の女性器、いわゆるワレメは猥褻物とはみなされず、性的パートナーのいない男性にとっては少女ヌードだけが女性器を見る手段だった。そのためロリ趣味のない男性もナマの女性器の代替品として少女ヌード写真を手にすることが多かった...らしい。1985年、『ヘイ!バディー』9月増刊号『ロリコンランド8』が警視庁保安一課より摘発され発禁回収処分となった[4]ことをきっかけに、『ヘイ!バディー』本体も自主的に廃刊することとなったが、1985年11月号(終刊号と銘打っていた)に次のような記述がある。

ロリコン・イコール・ワレメでした。どんな情報も企画も一本のワレメには勝てません。読者のほとんどが性器が見たくてしかたのない、単なるスケベでした。 — 高桑常寿、[5]

歴史[編集]

1970年代が日本の少女ヌード写真のブームの幕開けであって、それ以前に存在したものは少ない。1943年にドイツ語から日本語訳された『子供のからだとその養育』のような医学書や保健体育関連の資料を、一部のマニアが本来の用途以外の目的で愛好していたようである[6]。また、この時代は大学(医学部)図書館に比較的容易に侵入できたことから、小児婦人科、性教育、体育科教育法などの文献でハァハァするマニアもいた。現在では不可能、または非常に困難。

  • Carl Heinrich Stratz 『Der Körper Des Kindes Und Seine Pflege Für eltern, Erzieher, Ärtzte und Künstler』 Verlag Von Ferdinand Enke、Stuttgart、1909年1月1日(ドイツ語)。ASIN: B000VK39NE
  • C. H. スュトラッツ 『子供のからだとその養育 : 教育家・兩親・醫者・藝術家に捧ぐ』 森徳治譯(訳・編)、汎洋社、1943年doi:10.11501/1051837NCIDBA45649637

1970年代前半[編集]

日本における少女ヌード写真集は1969年、12歳の梅原多絵をモデルとした『ニンフェット 12歳の神話』を嚆矢とする[7]。ただし本書はロリコンを意識して出版されたものではない[2]。自然の中のおおらかなヌードでナチュリズム的感覚が前面に出た、エロス的要素の少ないものであった。もともと写真家の剣持加津夫は妊娠中絶問題、性教育、青少年麻薬問題に関心を持っており[8]、前年の1968年にノーベル書房から『成熟への導き : スエーデンの性教育』を出版していることからわかるように、本書は性解放というコンテクストのもと出版されたのである。

ノーベル書房社長・山本一哉の発言が残っている:

ヌードばかりあふれている時代に、男でも女でもない、妖精のようなヌードを描こうと思ったのです。年齢を何歳に置くかが大問題でしたが、十二歳のころの少女は大人と子供の境にあってあどけない美しさを秘めています。(略)ヌードであるからには、あの割れ目も現れる。それをいかに純粋でいやらしくなく表現するかに、最善の注意と努力をはからった — [9]

なお、同じ記事の中で『週刊現代』記者が少女の割れ目を「少女自身」と表現している[10]

1970年にはノーベル書房から『初恋・十六歳 フォト・ロマネスク』(星陽子、16歳)が出ている。

  • 剣持加津夫(写真)、高峰秀子(文) 『ニンフェット 12歳の神話』 ノーベル書房、1969年NCIDBA35092177
  • 剣持加津夫 『成熟への導き : スエーデンの性教育』 ノーベル書房、1968年doi:10.11501/3038287
  • 小川勝久 『初恋・十六歳 フォト・ロマネスク』 ノーベル書房、1970年

1971年には、11歳の大上亜津佐をモデルとして1971年10月29日付け毎日新聞に全面広告が掲載されたことで話題になった。毎日新聞社創業100周年の記念として行われた公共福祉広告キャンペーンの一環であるが、この意見広告には大上のヌードとともに「彼女はまだ11才。どう育つでしょう、セックスセックスセックスの世の中で」のコメントをつけている[11]。大人の世界の性の氾濫を、純粋無垢な少女と対比させることで強調するねらいがあった[12]。大上の登場は社会的な反響を呼び、ほかの雑誌などにも取り上げられた。永井豪の漫画『ハレンチ学園』騒動と並び、「子供の性」をめぐる当時の世相的な出来事となった[13]

  • 大山謙一郎 『The Little July』 ヤック翔龍社、1971年
    • 大山謙一郎 『光の中の少女』 壱番館書房、1983年 ※未使用カットを加えた上記再版

1973年、沢渡朔撮影による『少女アリス』が出版される。梅原や大上のようなナチュラルな無垢さを押し出したものとは異質な、エポックメーキングな作品であった。8歳のモデル、オーディションで帰り際にキスを投げかけて合格したというブロンドのサマンサを使って、ロンドン郊外で撮影されたこの写真集は、『不思議の国のアリス』をモチーフにした幻想的な雰囲気のなかで、フェティッシュな対象としての少女を耽美的に表現し、不朽の名作となる。川本耕次は、独特の沈んだ色彩がシックでカッコイイと述べる[7]1979年に沢渡は6年後のサマンサを撮った続編、『海からきた少女』を出版している。

  • 沢渡朔 『少女アリス』 滝口修造(序詩), 谷川俊太郎(詩), ルイス・キャロル(付「思ひ出・手紙」。高橋康也訳)、河出書房新社、1973年NDL75042522
  • 沢渡朔 『海からきた少女』 河出書房新社、1979年NDL80005729

1970年代後半[編集]

1975年に雑誌『GORO』1975年8月14日号に、13歳の芦田かおるのヌードと11歳の小枝草久美のセミヌードが掲載される。

  • 篠山紀信「青い性の少女たち」、『GORO』第2巻第15号、小学館、1975年、 3ff。

また「少女ヌード」のカテゴリーに入らないものの中でも、1970年代には児童の可愛らしさをヌードを含め表現した作品があり、代表的なものに西川治撮影の一連の作品がある。一例として1976年の『アマンダの日曜日』など。

  • 西川治(写真)、名木田恵子(文) 『アマンダの日曜日』 サンリオ出版〈サンリオギフトブック〉、1976年

1977年夏ごろから、アメリカ合衆国のヌーディスト村で撮影した単体少女写真集『モペット』シリーズ(Nudist Moppets[14])が日本で流通し始めた[15]。同年から1978年にかけてはデンマークの[16]『ニンフ・ラバー』など、少女と成人男性の絡みを写した明確な児童ポルノもたびたび日本に移入されている[2]

同じく1977年、清岡純子が、最初の少女ヌード写真集『聖少女 Nymph in the Bloom of Life』を出版した。1979年にはそれに続き『野菊のような少女 聖少女パート2』を出版。清岡はここから1980年代にかけて毎年のように写真集を出してゆき、野外撮影を得意とする自然主義的な作風で最も多作な少女ヌード写真家となる。力武靖は、清岡のアシスタントの経験がある[17]

  • 清岡純子、藤本義一(文) 『聖少女 Nymph in the Bloom of Life』 フジアート出版、1977年
  • 清岡純子、池田満寿夫(文) 『野菊のような少女 聖少女パート2』 フジアート出版、1979年

このような下地のあったところに、満を持して『LITTLE PRETENDERS 小さなおすまし屋さんたち』が出版される。数万部を売り上げ、業界はざわめく。実質的なロリコンブームの火付け役である[18]。前述の『モペット』のような輸入作ではなく、5人の日本人少女モデルの全裸を日本人カメラマンが撮影した(劇団所属の硬い蕾を剥いたらしい[18])という点で本書が業界に与えた影響は大きい[15]。女性器が露出しているという理由で興味を持った者たちが探し回ったと言われ、すぐに増刷されている[2]。発行部数は最終的に20万部に達した[19]

  • 山木隆夫 『LITTLE PRETENDERS 小さなおすまし屋さんたち』 ミリオン出版〈ミリオンムック〉、1979年

1980年代[編集]

『LITTLE PRETENDERS 小さなおすまし屋さんたち』の性交成功を受け、1980年代には少女ヌード作品が市場の大きな需要となっていることが明確に意識される[18]。それに応えようと爆発的ともいえる供給がなされた。実に100以上の少女ヌード写真集がこの時期に発売されている[15]。代表例を挙げると、西洋人少女をモデルとし25万部を売り上げた[19]『les Petite Fees ヨーロッパの小さな妖精たち』から、『愛の妖精ソフィ』、『妖精ソフィ』に至る石川洋司の作品群。13歳であるにもかかわらずグラマラスな美少女・花咲まゆをモデルとした『潮風の少女』。手塚さとみのファンが勘違いして買い求めようとしたと言われる[20]さとみ十歳の神話』(1983年)。『心のいろ』『君はキラリ』『不思議の国の少女』の「英知3部作」(いずれも1984年)[21]。良品質で規模も最大の清岡純子による『プチトマト』シリーズがある[15]。『プチトマト』は1982年10月に第1号を発売して以来、月一のペースで刊行を重ねた。毎号2万部を売り上げる、清岡にとっての代表作である[22]

会田我路、近藤昌良などの多作でメジャーな写真家もこの分野に参入した。

  • 石川洋司 『les Petite Fees ヨーロッパの小さな妖精たち』 辰巳出版、1998年(原著1979年)。ISBN 9784886412751
  • 石川洋司 『愛の妖精ソフィ』 岩政企画、1980年
  • 石川洋司・森茉莉 『妖精ソフィ』 毎日新聞社、1981年
  • 清岡純子、山口洋子 『潮風の少女』 フジアート出版〈聖少女 PART V〉、京都市、1982年2月19日、初版。ISBN 978-4-82890291-3
  • 大友正悦 『さとみ十歳の神話 スペインの光と影の中で…』 大陸書房、1983年

1980年創刊のポルノ雑誌『Hey!Buddy』は、1982年春から明確なロリコン路線に移行してブームの過熱をさらに煽り、全盛期には7 - 8万部を売り上げた[23]。同誌には投稿雑誌の先駆けという一面もあり、グラビア掲載に留まらず読者が投稿した画像のページが充実していた。しかしその内容には、被写体を物陰に連れ込んで撮影した明白な犯罪行為までも含まれていた[24]。別冊の投稿写真集『少女アングル』が当局から警告を受け、同じく増刊『ロリコンランド』が発禁処分となり[25]、『Hey!Buddy』本誌は1985年11月号をもって廃刊となった[20]

朝日新聞の報道によると、ロリものの人気のピークは1983年前後である。固定客もいるが、作品に変化が乏しいので飽きられているという趣旨の業界関係者の発言を紹介している[26]

1984年、いわゆる「モペット裁判」の判決が確定する(第一審判決は1980年)。先述の『モペット』シリーズは、(毛のない)幼女のワレメも性器であるから猥褻物として規制できるという趣旨の判決である[27]1985年夏ころから、それまでセーフだった少女のパイパンも規制されるようになった[22]。また、ロリコンが一般に普及するにつれ、マスメディアにより批判も多く見られるようになり、ロリコンは嫌われる存在になっていく。モデルの調達も困難となり、ブーム衰退の要因となった[28]

1987年2月、『プチトマト42』が警視庁保安一課から猥褻容疑で摘発された[22]ことをもって、公刊される少女ヌード写真集においても性器が隠されるようになった[29]。また、それまでは二次元を愛好するキャラクター愛好派も、「ロリコン漫画」という共通の基盤において実写派ロリコンとゆるく連帯していたが、キャラクター描写の風潮がトランジスターグラマーへと移行するとともに少女ヌードから離れていったことも業界衰退の一因となっている(谷口玲の説)[30]

『プチトマト42』についてやや詳しく述べる。本書には12-13歳(FOCUS記者の見立て)の少女のパイパンもそのまま掲載されていたが、それが問題だったようだ。清岡純子は「少女たちの顔形だけではなく、その部分も少女美につながると思っている。そこも自然にレンズに入ってくるだけできわどいポーズを取らせたことはない。新聞社の主催でデパートで少女写真展を開いたこともあるし、モデルの母親たちからも信頼されていた。なぜ今回に限って」と不満を露にする[22]

そしてついに1989年、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件が起こる。ロリコンに対する風当たりはますます強くなり[31][32] 、第1次ロリコンブームは息の根を止められた[33]

1990年代[編集]

いったん下火となった少女ヌード写真は、1990年代に入ると人気が再燃し、第2次ロリコンブームが到来した。1988年12月創刊の[34]専門誌『アリスクラブ』は発行8万部を記録している[35]。すでに新作における性器の露出は許されなくなっていたため、無修正時代の雑誌や写真集は高値で取引されるようになった[30]

この時期、日本人のモデルが確保できなくて東南アジアに活路を見出した表現者たちもいる。タイ、ミャンマー、カンボジア…。力武靖が約10年にわたって撮影し続けた西村理香もタイ北部の少数民族出身である。彼女は人気を得て写真集がベストセラーとなる。1994年に高橋生建が竹書房より『美少女紀行』を刊行し、地域毎に総集編MAXも出た。

1999年児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律が施行されたことにより、児童(18歳未満)の裸像を書籍、インターネットなどを通じて頒布する行為が禁止された。これにより、少女ヌード写真集の新規の出版は不可能となった。

2000年以降[編集]

2005年春、国立国会図書館蔵書の『清岡純子写真集 Best Selection!』が児童ポルノと認定され、閲覧不可となる。それ以後も児童ポルノの疑いがある資料が選定されてゆき、2006年4月1日をもって、同館所蔵の少女ヌード写真を含んだ資料数百点が閲覧不可となった。

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. a b 『保育小六法(平成20年版)』 保育法令研究会(監修)、中央法規出版、2008年2月15日、44, 153。ISBN 978-4-8058-4793-0
  2. a b c d 青山, 志水 & 斉田 1994, p. 139.
  3. 青山, p. 165.
  4. “ワイセツ出版、三社摘発 警視庁”. 読売新聞: p. 19. (1985年9月19日 
  5. 「編集フコウ記」、『Hey! Buddy』第6巻第18号、白夜書房、1985年11月1日、 84頁。
  6. 高月 2009, p. 49.
  7. a b 川本 2011, p. 179.
  8. 高月 2009, p. 50.
  9. 「12歳の少女のヌード撮影を許した母親」、『週刊現代』第11巻第47号、講談社、1969年、 161-162頁、 doi:10.11501/3371550
  10. 安田 2021, p. 134.
  11. 梶祐輔, 疋田琢也, 藤井秀喜, 田中尚武 (1971年10月29日). “現代を見つめよう――6 テーマ<性>”. 毎日新聞: p. 20 
  12. 高月 2009, p. 53.
  13. 「11歳の妖精・大上亜津佐」、『Alice Club』第3巻第4号、白夜書房、1992年7月1日、 67頁。
  14. 志垣 1985, p. 76.
  15. a b c d 青山 1994, p. 164.
  16. 高月 2009, p. 58.
  17. 川本 2011, p. 180.
  18. a b c 川本 2011, p. 180-181.
  19. a b 高月 2009, p. 55.
  20. a b 青山 1994, p. 166.
  21. 斉田石也「少女写真集大図鑑」、『カメラボーイ』第7巻第7号、少年出版社、1990年5月10日、 59頁。
  22. a b c d FOCUS 1987, p. 53.
  23. 青山 1994, p. 165.
  24. 青山, 志水 & 斉田 1994, p. 140.
  25. 高月 2009, p. 60.
  26. “ロリータ・ビジネス(子どもが狙われている 幼女連続誘拐殺人:3)”. 朝日新聞. (1989年8月31日 
  27. 安田 2021, p. 142.
  28. それでもギャラはよく、家庭の事情で皮を剥かれる蒼い果実もあった。プチトマトのモデルは多くの場合それに該当する
  29. 青山 1994, p. 167.
  30. a b 高月 2009, p. 65.
  31. 「ロリコン五万人戦慄の実態--あなたの娘は大丈夫か?」、『週刊文春』第31巻第34号、文芸春秋、1989年、 165-167頁、 doi:10.11501/3376313
  32. 「あなたのそばにいる危険なロリコン男たち」、『週刊読売』第48巻第39号、読売新聞社、1989年、 28頁、 doi:10.11501/1815404
  33. 安田理央、雨宮まみ 『エロの敵』 翔泳社、2006年9月27日、28頁。
  34. 川本 2011, p. 189.
  35. 青山 1994, p. 168.

参考文献[編集]

  • 志垣雄二「ビニ本ウラ本ライブラリー」、『アップル通信』第2巻第10号、三和出版、1985年10月1日、 67-84頁。
  • 『宝島30』1994年9月号、宝島社、1994年9月8日。
    • 青山正明、志水一夫、斉田石也「受験と女権とロリータ文化」、『宝島30』第2巻第9号、1994年、 138-145頁。
    • 青山正明「ロリータをめぐる冒険」、『宝島30』第2巻第9号、1994年、 164-168頁。
  • 高月靖 『ロリコン日本の少女嗜好者たちとその世界』 バジリコ、2009年10月26日。ISBN 978-4-86238-151-4
  • 川本耕次 『ポルノ雑誌の昭和史』 筑摩書房〈ちくま新書927〉、2011年。ISBN 978-4-480-06631-2
  • 安田理央 『ヘアヌードの誕生 芸術と猥褻のはざまで陰毛は揺れる』 イースト・プレス、2021年6月1日。ISBN 978-4-7816-1990-3
  • 「摘発された「少女ヌード」―10年間撮り続けた女流写真家・清岡純子さんの大反論」、『FOCUS』第7巻第6号、新潮社、1987年2月13日、 52-53頁。