花咲まゆ

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はなさき まゆ
花咲 まゆ
花咲 まゆ
プロフィール
別名義沢井 由実
出身地日本国旗.png日本
瞳の色
毛髪の色
公称サイズ(時期不明)
身長 / 体重 cm / kg
活動
デビュー1981年7月
ジャンル写真(芸術)
モデル内容ヌード
テンプレート - カテゴリ

花咲 まゆ(はなさき まゆ)は日本のロリータモデル。本名:藤堂澄代。写真家清岡純子に見出された。

概説[編集]

1981年7月(当時13歳)、清岡純子が刊行していた作品集『白薔薇園 PART-2』に沢井由実名義で登場。デビュー作[† 1]

1982年2月、清岡の『聖少女』シリーズ第5作目のモデルとして花咲まゆ名義で『潮風の少女』に登場。京都市のフジアート出版から刊行され、大ヒットとなる[1][† 2]

1982年9月、写真集『私は「まゆ」13歳』も同じく大ヒットとなった[1]。この写真集は『BOMB!』誌によると「清岡純子の女性特有の細やかな視点が随所に感じられる。体つきはぽってり型で、胸もまろやかで大きい」とのこと[3]

一連の清岡作品に登場した少女モデルの代表的存在であり、『プチトマト』シリーズの数多い少女モデルを含めても随一の美少女だった。川本耕次によると「処女太りでムチムチの女の子」である[4]。後年、清岡も「いちばん思い出深いモデルである」とし、清岡の自宅兼事務所に飾られていたまゆのパネルに関して「ずっと少女を撮り続けているけど、これ以上の傑作はいまだに撮れない」と語った[2]。1987年に発行された『FOCUS』誌でもこのパネルは確認できる[5]

青山正明は花咲まゆについて「あどけない表情とグラマラスな体型の双方を兼ね備えていた」と論評している[6]織絵可南子諏訪野しおり山添みづきなどスレンダーなモデルが多数を占めた1980年代のロリータブームの時期において、彼女や田中みお(少女M)のようなタイプは少数派として位置付けられた[1]

これ以降の仕事も入っていたが、本人が泣いて断ったため流れた。友達の家に遊びに行ったときに、友達の父親が彼女の写真集をもってきて「本名でサインしてくれ」とニヤニヤしながらせがんだことが原因。学校では周囲から「ポルノ」と呼ばれた。

写真集[編集]

  • 清岡純子 『白薔薇園 PART-2』 株式会社大塚カラー現像所、栃木県鹿沼市、1981年7月25日、初版。 ※沢井由実 名義
  • 清岡純子、山口洋子 『潮風の少女』 フジアート出版〈聖少女 PART V〉、京都市、1982年2月19日、初版。ISBN 978-4-82890291-3
  • 清岡純子 『私は「まゆ」13歳』 フジアート出版、京都市、1982年9月20日、初版。ISBN 978-4-82890292-0

ビデオ[編集]

  • 清岡純子(監督) (1987年). わたしは「まゆ」思い出の夏 (VHS). たんぽぽの花. 

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. 本書には沢井由実&春子(11歳)、尾寺純二(12歳)、桜邦子、桜邦子(14歳)&谷田ひろし(13歳)といった少年・少女のヌード、はらたいらが初めてとったという女性のヌードが掲載されている
  2. 清岡純子が手がけた『聖少女』シリーズの中で最も販売成績がよかった[2]

出典[編集]

  1. a b c 斉田 1997, p. 41.
  2. a b 斉田 1997, p. 40.
  3. 「ボムバース・ロリコンランド」、『BOMB!』第5巻第3号、学習研究社、1983年3月1日、 65ff。
  4. 川本耕次 『ポルノ雑誌の昭和史』 筑摩書房〈ちくま新書927〉、2011年10月10日、180頁。ISBN 978-4-480-06631-2
  5. 「摘発された「少女ヌード」―10年間撮り続けた女流写真家・清岡純子さんの大反論」、『FOCUS』第7巻第6号、新潮社、1987年2月13日、 52頁。
  6. 青山 1994, p. 166.

参考文献[編集]

  • 斉田石也「ブーム時代の天使達 第九回」、『劇画コマンドー1月号増刊・Sweet Lowteen』第11号、黒田出版興文社、1997年1月1日
  • 青山正明「ロリータをめぐる冒険」、『宝島30』第2巻第9号、宝島社、1994年9月8日

関連項目[編集]