小幡信真
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小幡 信真(おばた のぶざね、天文9年(1540年)[1] - 文禄元年11月21日(1592年12月24日))は、戦国時代の武将。甲斐武田家の家臣。後に織田家、北条家の家臣として仕えた。官途は右衛門尉[1]。受領名は上総介[1]。上野国峰城主[1]。父は小幡憲重で嫡子[1]。養子に信定[1]。正室は長野業正の娘[1]。
生涯[編集]
名の「信」は武田信玄からの授与である[1]。永禄10年(1567年)に家督を相続し、武田信玄の西上野経略に上野先方衆として協力した[1]。武田信玄からはかなりの信任を受けていたようで、新恩給与を多く与えられ西上野における諸領主を同心・与力として編成することを許され、西上野最大の国衆になった[1]。
天正10年(1582年)の武田征伐で武田勝頼が自害すると織田信長に従うが、信長が6月の本能寺の変で死去して滝川一益が神流川の戦いで敗走すると北条氏直に従った[1]。天正13年(1585年)に家督を養嗣子の信定に譲って隠居する[1]。その7年後に53歳で死去。