太陽が丘線
太陽が丘線(たいようがおかせん)とは、京阪宇治交通・京阪バスが1982年より運行開始した路線である。一時期は3社運行であったが、その後京阪宇治バスと京阪シティバスの2社による運行を経て、現在は2014年4月1日から両社を合併した京都京阪バスの単独運行となっている。
本項では太陽が丘線の前身である1981年1月7日より運行の琵琶台線、1995年4月10日より運行開始の支線である宇治友が丘線(後の立命館宇治高校線。現・⻩檗宇治⼤久保線)[1]及びその関連系統である宇治市内循環線、立命館宇治高校直通便についても記述する。又、1997年より2年弱運行されていた、太陽が丘線と天ヶ瀬線(当時設定されていた宇治川線の派生路線でもある)を直通するガーデンズ天ヶ瀬へのアクセスバスの一つ「ビールオムニバス」の内のG48/G77/G78系統、「ビールシャトルバス」の全系統(G44/G45)[2]、及び明星町線、東宇治線、京都線の関連する部分に付いても記述する。
前身・琵琶台線[編集]
1981年1月7日に京阪電気鉄道が事業主となって開発した、宇治中心部初の住宅地「宇治琵琶台」[3]の入居開始にあわせて路線が開設された。市役所前[4] - びわ台[5]間約1.2kmは新規に路線免許を取得し、宇治・六地蔵 - びわ台間は既存路線を活用しての運行となった。この時の新規開設停留所は宇治市役所、びわ台口、びわ台の3ヶ所であった。尚運行開始当時の運賃は初乗り区間[6]60円、京阪六地蔵よりびわ台まで160円、宇治車庫より100円であった。
運行開始当初は宇治車庫(一部は京阪六地蔵) - びわ台間で運行されていたが、開業直後の同年8月23日にダイヤ改正が行われた。当改正は、宇治琵琶台住宅地内に外周道路が完成した事によるものであった[7]。同時にびわ台は「琵琶台3丁目」、びわ台口は「琵琶台口」にそれぞれ漢字書きに改称し、「琵琶台2丁目」が新たに開設された。
この時の運行ダイヤや系統番号は資料が存在せず、社史にも記述が無い事により不明である為割愛する。
太陽が丘線開業[編集]
1982年、京都府立山城総合運動公園(通称・「太陽が丘」。以下「太陽が丘」と称す)開園[8]、及び琵琶台口と太陽が丘との間に位置する、名鉄不動産開発の宇治中央部第2の住宅街である「折居台」(おりいだい)の入居開始、同地に開業した宇治市文化センターへのアクセスを目的に設定された。このバス路線は太陽が丘の開園計画が持ち上がった頃より構想のあった路線であるが、京阪宇治交通はこれを前年に開業した琵琶台線の延長として運行する事とした。
路線の設定に当たっては、当初の計画段階では京都府企業局、宇治市、京阪宇治交通の3社間で協議の上検討を行った。しかし京阪宇治交通の路線免許申請時期になり京阪バスもこの路線の運営に参加する旨を申し入れて来た。これは、京都府企業局は京阪宇治交通のみではなく京阪バスにも運行を要請していた事によるものであった。京阪宇治交通側は琵琶台線に京阪バスが運行する事は想定していなかった[9]が、太陽が丘の開園時期が目前であった為、京都府、宇治市、京阪バス、京阪宇治交通による議論の結果、従来から運行している宇治方面からは京阪宇治交通の単独運行で、新規に開業する大久保方面からは京阪バスと京阪宇治交通2社による運行で決着を見た。これにより複数の系統が設定される事となった。なお、琵琶台3丁目を経由する便は宇治方面からの一部の便のみの設定となった。又早朝及び深夜等の太陽が丘の開園時間外は茶業センターで折返し運行となった[10]。
同年4月1日、琵琶台口/琵琶台2丁目 - 太陽が丘間を延長して開業。同時に琵琶台線を「太陽が丘線」に改称した。新設停留所は折居台口、茶業センター、太陽が丘[11]の3ヶ所である。
休日には便数を増やし、夏休み等の多客時には午前中に臨時便を出す等の盛況となった[12]。
この当時の運行系統は以下の通りである。停留所名はいずれも当時のものとしている(括弧内は京阪バスの停留所名称)。特記の無いものは京阪宇治交通の系統番号としている。尚京阪宇治交通では40番台を太陽が丘線の系統番号として使用する事を原則とした。
- 大久保方面
- 宇治方面
- 41系統 京阪六地蔵 - 木幡 - 黄檗 - 新田(宇治市)[13] - 森本 - 三室戸 - 京阪宇治 - 国鉄宇治駅 - 宇治市役所 - 折居台口 - 茶業センター - 太陽が丘
- 41A系統 京阪六地蔵 - 木幡 - 黄檗 - 新田(宇治市) - 森本 - 三室戸 - 京阪宇治 - 国鉄宇治駅 - 宇治市役所 - 折居台口 - 茶業センター
- 41B系統 京阪六地蔵 - 木幡 - 黄檗 - 新田(宇治市) - 森本 - 三室戸 - 京阪宇治 - 国鉄宇治駅 - 宇治市役所 - 琵琶台3丁目 - 折居台口 - 茶業センター - 太陽が丘
- 41C系統 京阪六地蔵 - 木幡 - 黄檗 - 新田(宇治市) - 森本 - 三室戸 - 京阪宇治 - 国鉄宇治駅 - 宇治市役所 - 琵琶台3丁目 - 折居台口 - 茶業センター
- 44系統 宇治車庫 - 京阪宇治 - 国鉄宇治駅 - 宇治市役所 - 折居台口 - 茶業センター - 太陽が丘
- 44A系統 宇治車庫 - 京阪宇治 - 国鉄宇治駅 - 宇治市役所 - 折居台口 - 茶業センター
- 44B系統 宇治車庫 - 京阪宇治 - 国鉄宇治駅 - 宇治市役所 - 琵琶台3丁目 - 折居台口 - 茶業センター - 太陽が丘
- 44C系統 宇治車庫 - 京阪宇治 - 国鉄宇治駅 - 宇治市役所 - 琵琶台3丁目 - 折居台口 - 茶業センター
これに先立ち、太陽が丘の開園記念行事が一般開園直前の3月14日に実施されたが、路線免許取得がこの日に間に合わなかった為貸切バスで輸送された。
宇治地区での路線の拡大期[編集]
1982年の開業より暫くは太陽が丘線沿線は余り変化がなかったが、正確な時期は不明であるものの、この間に小倉経由の43系統が新設されている。この系統はユニチカから直接総合庁舎に向かう最短ルートを採らず、一旦国鉄宇治駅に立ち寄った。設定理由は小倉地区居住者の太陽が丘への来訪を可能とする事及び国鉄線利用者の小倉/太陽が丘へのアクセス向上であった。
又1985年4月に京都府立菟道高等学校が開校し、折居台/琵琶台住民の通学手段の確保の目的として同月の改正で宇治車庫折返しの44-44C系統の一部が菟道高校まで延長された。菟道高校発着は登校/下校時以外にも高校近くの住宅街である羽戸山地区からの宇治市役所や宇治市文化センター、及び太陽が丘へのアクセスも兼ねていた為、この当時は平日/休日問わず昼間時にも一部運行されていた。系統番号は40-40C系統の4種で、44-44Cの各系統をそのまま菟道高校に延長した形となった。
1985年秋には京阪バス6号経路の管轄営業所がこれまでの洛南営業所から枚方営業所へと移管された。
1987年、日本国有鉄道の民営化に伴い、京阪バス6号経路と京阪宇治交通45/46/47系統の国鉄新田が「JR新田駅」、国鉄宇治駅が「JR宇治駅」[14]へと停留所名が改称された。1980年代前半頃、太陽が丘が京都国体の会場の一つとして使用される事が決定し、これまで南側から直接太陽が丘へ通ずる道路の無かった南側からのアクセスを改善する為に城陽市側から太陽が丘へと直接結ぶ道路が完成し、これを使用して太陽が丘線も太陽が丘を経由して近鉄寺田に延長する系統が同年に新設された。これは48系統として設定された。ダイヤは宇治車庫 - 太陽が丘の44系統のごく一部便を近鉄寺田に延長する形態を取った[15]。
同年10月には太陽が丘線の大半に乗り入れる宇治車庫 - 工業団地(宇治田原町)[16]の184系統が数便のみ設定されたが、これは宇治川線[17]の迂回ルートとして路線名を「立場線」として設定されたものであり、太陽が丘線の関連系統では無い為本項では詳細な記述を割愛する。
1988年11月11日には宇治営業所管内で白紙改正が行われた。この時、新規の系統として京都駅を発着する41系統とその途中折返し系統の41A系統(何れも2代)が新設された。41系統はそれまで春分の日から勤労感謝の日の休日のみに運行されていた京都線 - 東宇治線 - 宇治川線直通の39系統の宇治側の発着地を天ヶ瀬ダムから太陽が丘に変更して設定したものであり、41A系統はそれまで運行していた39A系統の系統番号を変更しただけであり、41A系統は京都駅 - 宇治車庫間での運行である。
この41A系統は本来は京都線 - 東宇治線の系統であり太陽が丘線区間を走行しないが、41系統と共通運用であり、太陽が丘線と密接に関連している為、本項では41A系統も関連系統と見做して例外として記述する。41/41A系統は京都駅 - 町並[18]間をクローズドドアー方式で運行した[19]。
この頃の太陽が丘線は、宇治車庫からは平日/休日共昼間時は15分間隔で運行[20]されており、夜間時間帯も茶業センター折返しが約20分から30分間隔で運行されていた。大久保方面からは平日は昼間時に概ね1 - 2時間に1本が、休日は概ね1時間に1本が運行されていた。小倉/近鉄寺田からは昼間時に数本設定されていたのみであった。京阪六地蔵方面からの本数は年々減少していたものの今改正でも存続されたが、初代41/41A系統は廃止され、朝ラッシュ時に41C系統が茶業センター発で1本のみ設定した他は全て41B系統となった。但し41B系統も昼間時に44B系統を延長する形で僅か数往復設定していたのみであった。
1988年までに新規に設定された系統を以下に記述する。
- 小倉方面
- 宇治方面
- 40系統 菟道高校 - 森本 - 宇治車庫 - 京阪宇治 - 国鉄宇治駅 - 宇治市役所 - 折居台口 - 茶業センター - 太陽が丘
- 40A系統 菟道高校 - 森本 - 宇治車庫 - 京阪宇治 - 国鉄宇治駅 - 宇治市役所 - 折居台口 - 茶業センター
- 40B系統 菟道高校 - 森本 - 宇治車庫 - 京阪宇治 - 国鉄宇治駅 - 宇治市役所 - 琵琶台3丁目 - 折居台口 - 茶業センター - 太陽が丘
- 40C系統 菟道高校 - 森本 - 宇治車庫 - 京阪宇治 - 国鉄宇治駅 - 宇治市役所 - 琵琶台3丁目 - 折居台口 - 茶業センター
- 41系統(2代) 京都駅 - 町並 - 木幡 - 黄檗 - 新田(宇治市) - 京阪宇治 - JR宇治駅 - 宇治市役所 - 折居台口 - 茶業センター - 太陽が丘
- 41A系統(2代) 京都駅 - 町並 - 木幡 - 黄檗 - 新田(宇治市) - 宇治車庫
- 48系統 宇治車庫 - 京阪宇治 - JR宇治駅 - 宇治市役所 - 琵琶台3丁目 - 折居台口 - 茶業センター - 太陽が丘 - 鴻ノ巣山公園 - 庭井 - 近鉄寺田
尚大久保方面からの系統は便数時刻の変更があった程度であり、この時期は表立った変化はさほど無かった。
東宇治地区からの系統設定[編集]
1990年12月20日、黄檗駅バス回転場完成[22]及び東宇治地区の住宅街である明星町地区でのバス運行が開始され、太陽が丘線の系統にも変化が生じた。これに関連して、新たに黄檗駅/明星町と宇治市役所/太陽が丘との間を直結する系統が同日の改正で設定された。これは黄檗台 - 三室戸間で新規に設定された区間に乗り入れる系統となり、系統番号は43(2代)と43A-43Cの4系統となった。尚同日、初代43系統は49系統に改称した[23]。
尚この運行に先立ち、明星町線の狭隘区間である[24]門前(もんのまえ) - 明星町1丁目間[25]に大型車進入を知らせる表示装置が2ヶ所に設置された[26]。
この路線開設の際、京阪宇治交通は会社創業以来初めて、路線開業を記念した乗車券を1冊600円(150円券4枚綴り)で発行した。記念乗車券名は「平成二年十二月二十日 黄檗・明星町線開業記念乗車券」であった[27]。
43-43C系統の運行は朝夕ラッシュ時を中心に運行[28]され、特に夕方ラッシュ時には43-43C系統だけで明星町界隈で15分間隔で運行されていた[29]。この改正で二番割/黄檗台 - 菟道高校間に「羽戸山2丁目」を新設した[30]。
1990年代前半は43-43C系統の設定と49系統への系統番号変更が実施された以外には、ダイヤ改正時でも大きな変化はそれ程無かった。
1994年までに新設された系統を以下に記す。
- 宇治方面
- 43系統 黄檗駅 - 黄檗公園 - 菟道高校 - 志津川口 - 明星町1丁目 - 宇治車庫 - 京阪宇治 - JR宇治駅 - 宇治市役所 - 折居台口 - 茶業センター - 太陽が丘
- 43A系統 黄檗駅 - 黄檗公園 - 菟道高校 - 志津川口 - 明星町1丁目 - 宇治車庫 - 京阪宇治 - JR宇治駅 - 宇治市役所 - 折居台口 - 茶業センター
- 43B系統 黄檗駅 - 黄檗公園 - 菟道高校 - 志津川口 - 明星町1丁目 - 宇治車庫 - 京阪宇治 - JR宇治駅 - 宇治市役所 - 琵琶台3丁目 - 折居台口 - 茶業センター - 太陽が丘
- 43C系統 黄檗駅 - 黄檗公園 - 菟道高校 - 志津川口 - 明星町1丁目 - 宇治車庫 - 京阪宇治 - JR宇治駅 - 宇治市役所 - 琵琶台3丁目 - 折居台口 - 茶業センター
太陽が丘線の支線・宇治友が丘線/宇治市内循環線開業[編集]
1995年4月10日、宇治市南西部の尖山(とんがりやま)地区に於いて住友商事の開発した住宅地である宇治友が丘の入居進捗により京阪宇治交通は宇治市と住友商事との3者で協議し、同地区を経由して宇治と大久保を直結するバス路線を「宇治友が丘線」及び「宇治市内循環線」として開業させた。新規開業区間は琵琶台口 - JR新田駅間(並びに宇治市内循環線の名木北口 - 小倉間)である。
系統は200/220/240/300の4系統が設定された。この内200系統と300系統は宇治友が丘を発着する循環路線「宇治市内循環線」(200系統のみ琵琶台3丁目を経由)であった。240系統は宇治車庫と近鉄大久保とを結ぶ宇治 - 大久保間の第3ルートとして(但し近鉄大久保行きのみ琵琶台3丁目を経由)、220系統は宇治友が丘と近鉄大久保の間を折返し運行する目的で設定された。即ち後者2つの系統に対しての路線名が「宇治友が丘線」であった。
当時は尖山地区の道路が未完成であった為、宇治市南部に当時開発途上にあった寺山台住宅地構内を走行する経路を採った。この為宇治友が丘線は当時は小型車でしか運行が不可能であった。
運行開始当時のダイヤは、宇治友が丘 - 近鉄大久保間は昼間時は各系統の組み合わせで概ね1時間に1-2本が運行されていた[31]。
この路線開設時にも記念乗車券が発行され、150円券4枚綴りの600円であった。
この1995年4月10日改正では太陽が丘線でも変化があり、長年運行されていた41B/41C系統の六地蔵直通が東御蔵山[32]折返しに経路変更され全廃された。又運行方法も変更され、琵琶台3丁目を経由する便は昼間時は太陽が丘発のみは現状を維持したが、宇治方面発は240系統が近鉄大久保行きのみ琵琶台3丁目を経由する関係上、44B系統は減便となった。
1996年4月には京阪バスの久御山団地 - 太陽が丘系統が宇治淀線等と同様に再度洛南営業所管轄に戻した。
続く1996年10月25日改正では折居台口バス停前にバス回転場が新設され、この回転場に停留所を設置、バス停名を「宇治市文化センター」とした[33]。これにより210系統と310系統が新設された。210系統は240系統と琵琶台口 - 近鉄大久保間は同経路を走行(240系統同様近鉄大久保行きのみ琵琶台3丁目を経由)、310系統は300系統の琵琶台口 - 宇治友が丘 - 近鉄大久保間を廃止して琵琶台口 - 宇治市文化センター間を運行するものであった。尚200/220/300系統はこの改正で廃止された。
1995年改正以降に新設された系統を以下に記す。
- 宇治方面
- 200系統 近鉄大久保→寺山台1丁目→宇治友が丘→植物公園→琵琶台口→JR宇治駅→宇治郵便局→小倉駅前→砂田→名木→緑ヶ原→近鉄大久保
- 300系統 近鉄大久保→緑ヶ原→名木→砂田→小倉駅前→宇治郵便局→JR宇治駅→琵琶台口→琵琶台3丁目→植物公園→宇治友が丘→寺山台1丁目→大久保→近鉄大久保
- 220系統 宇治友が丘 - 寺山台1丁目(→大久保)- 近鉄大久保
- 240系統 宇治車庫 - 京阪宇治 - JR宇治駅 - 琵琶台口(→琵琶台3丁目) - 植物公園 - 宇治友が丘 - 寺山台1丁目(→大久保)- 近鉄大久保
- 210系統 宇治市文化センター - 琵琶台口(→琵琶台3丁目) - 植物公園 - 宇治友が丘 - 寺山台1丁目(→大久保)- 近鉄大久保
- 310系統 宇治市文化センター - 琵琶台口 - JR宇治駅 - 宇治郵便局 - 小倉駅前 - 砂田 - 名木 - 緑ヶ原(→大久保)- 近鉄大久保
1997年の白紙改正から運営事業者変更まで[編集]
1997年7月26日、宇治地区の9年振りの白紙改正により太陽が丘線/宇治友が丘線は路線開設以来の大規模な改正が行われた。
まず大きく変更されたのは太陽が丘線/宇治友が丘線共に宇治側の発着地であり、宇治車庫発着から同日付で京阪宇治より改称したリムジンセンターU-ハウス京阪宇治発着に短縮した[34]。この理由は前年1996年に京阪宇治バス回転場が竣工した事によるものである[35]。
この改正で系統が大きく整理され、太陽が丘線は大久保地区からの系統は47系統は存続となったものの45/46、小倉経由の49、宇治地区からの系統は京都駅発着の41[36]、東御蔵山発着の41B/41C、黄檗発着の43-43Cの各系統が廃止された。菟道高校発着の40-40C系統は琵琶台3丁目を経由しない40系統と茶業センター止まりの40A系統を2代目40系統に、琵琶台3丁目を経由する40B系統と茶業センター止まりの40C系統を3代目41系統に、リムジンセンターU-ハウス京阪宇治発着の44-44C系統は琵琶台3丁目を経由しない44系統と茶業センター止まりの44A系統を2代目44系統に、琵琶台3丁目を経由する44B系統と茶業センター止まりの44C系統を2代目45系統にそれぞれ統合した。この結果、菟道高校/リムジンセンターU-ハウス京阪宇治発着の系統番号は途中折返しであっても同一の系統番号を有するという状態となった[37]。尚京阪バスの6号経路に付いてはダイヤは変更されていない。
逆に新設系統は、ビールレストラン「ガーデンズ天ヶ瀬」開業[38]により全日夕方以降最終便までは44/45系統を延長する形態で太陽が丘ゲート前(夕方の早い便は太陽が丘) - リムジンセンターU-ハウス京阪宇治 - 平等院 - ガーデンズ天ヶ瀬間を運行するG44系統と琵琶台3丁目を経由するG45系統の2系統が設定された。この他にも遠方からG77系統とG78系統が片道1本ずつ乗り入れ、G77系統は近鉄新田辺発ガーデンズ天ヶ瀬行、G78系統はガーデンズ天ヶ瀬発リムジンセンターU-ハウス学研山手行[39]で設定した。この2系統は田辺営業所(当時)が管轄した。
この他にも経路変更を行った系統も1系統ある。48系統は琵琶台口 - 東宮ノ谷間の経路を太陽が丘経由から宇治友が丘経由(近鉄寺田行は琵琶台3丁目を経由)に変更し、太陽が丘構内への乗り入れを廃止した。同系統は同時に全便リムジンセンターU-ハウス京阪宇治 - 宇治車庫間を廃止し、リムジンセンターU-ハウス京阪宇治 - ガーデンズ天ヶ瀬間を延長した為系統番号をG48系統に変更した。
この改正では京阪宇治交通に限り停留所の名称も統合/変更され、太陽が丘線の折居台口と宇治友が丘線の宇治市文化センターが統合の上「宇治文化センター」[40]、茶業センターを「太陽が丘ゲート前」、京阪宇治を「リムジンセンターU-ハウス京阪宇治」、JR宇治駅を「JR宇治」、JR新田駅を「JR新田」、黄檗駅を「JR黄檗」へとそれぞれ改称された。
同改正では宇治友が丘線は210系統と240系統が琵琶台口 - 近鉄大久保間で両系統合わせて昼間時30分間隔のパターンダイヤとなった[41]以外は特に変更されなかった。又310系統は殆んど変化が無く、時間の変更があった程度に過ぎなかった。尚宇治友が丘線は近鉄大久保乗り場が3番からこのダイヤ改正で新設の5番への変更により経路が一部変更され、近鉄大久保行きが大久保に立ち寄っていたものを近鉄大久保発が大久保に立ち寄る形態に変更となった。
1998年1月21日にはG77系統とG78系統を利用者数の見込み違いによる理由[42]から僅か半年で廃止させた。これにより田辺営業所の宇治友が丘線の運用は一旦無くなった。1998年8月1日には宇治友が丘 - 大久保小学校間の道路が完成し、極端に狭隘な寺山台地区の道路からこの新道路に路線を載せ変え、同日にダイヤ改正も行い、210/240系統の中型車の運用も可能となったが、1999年1月11日改正までは引き続き小型車のみでの運行となっていた。この時、寺山台1丁目、寺山台2丁目を廃止し、新たに宇治友が丘 - 大久保小学校間には宇治側より寺山台東(宇治/宇治文化センター方面行のみ)、寺山台、尖山(とんがりやま)、広野町宮谷(ひろのちょうみやだに)が設置された。
1999年1月11日、宇治営業所管内の路線は一部を除き分社化された京阪宇治交サービスにバス事業の経営を譲渡を行い、これまでの京阪宇治交通宇治営業所管内は京阪宇治交サービス宇治営業所が原則的に運営する事となったが、太陽が丘線に付いては引き続き京阪宇治交通便も設定される事となり、この関係で田辺営業所の車両も同線で運用される様になった。特に昼間時はほぼ全便の44/45系統が田辺営業所所属車両による運行となった。尚ガーデンズ天ヶ瀬へのアクセスバスは同改正で全体的に見直しを行った結果、G44/G45/G48系統は全便廃止され、G44/G45系統は44/45系統に変更、G48系統も同区間を廃止し大幅減便の上で[43]2代目48系統としてリムジンセンターU-ハウス京阪宇治 - (→琵琶台3丁目) - 宇治友が丘 - 鴻ノ巣山公園 - 近鉄寺田の運行となった。即ちリムジンセンターU-ハウス京阪宇治 - ガーデンズ天ヶ瀬間を廃止した。同時に40/41系統の大幅な減便が行われ、菟道高校の登下校時のみの運行となった。47/310系統に付いては本数の微減と時刻変更程度で殆んど変化は無かった。
尚210/240系統はこの時より小型車限定が解除され中型車でも運行される事となったが、この時点では宇治友が丘線での大型車の運用は大久保小学校 - JR新田間の交差点の構造の関係から見送られた。
同年4月1日、京阪バスでも洛南営業所の一般路線全線が分社化された京阪シティバスに運営が移管された。この時に京阪シティバスもダイヤ改正を行った。同時に京阪シティバスも新田駅→JR新田駅(京阪宇治交通/京阪宇治交サービスはJR新田)、宇治駅→JR宇治駅(同JR宇治)、折居台口→宇治文化センター、茶業センター→太陽が丘ゲート前(2停留所は京阪宇治交通/京阪宇治交サービスの停留所と統一)に改称された。又同日より京阪シティバス便の車内でも回数乗車券の発売を開始した。
2000年7月1日のダイヤ改正で48系統を廃止[44]し、宇治から寺田地区への直通系統は設定が無くなった。
その後、2002年までの2年間は余り変化は無かった。
1999年4月1日までに新設された系統を以下に記す。
- 宇治方面
- G44系統 ガーデンズ天ヶ瀬 - 平等院 - 京阪宇治 - JR宇治 - 宇治市役所 - 宇治文化センター - 太陽が丘ゲート前(- 太陽が丘(一部便のみ))
- G45系統 ガーデンズ天ヶ瀬 - 平等院 - 京阪宇治 - JR宇治 - 宇治市役所(- 琵琶台3丁目→琵琶台2丁目) - 宇治文化センター - 太陽が丘ゲート前(- 太陽が丘(一部便のみ))
- 城陽・京田辺方面
立命館宇治高校移転による宇治友が丘線の再編成以後[編集]
2002年9月1日、立命館宇治高等学校が宇治市菟道谷下り[46]から山城総合運動公園付近の同市広野町八軒屋谷に移転した。これにより学校法人立命館は同高校へのアクセスを確保する目的で京阪宇治交サービスにバス運行を要請し、議論の結果、宇治友が丘線を立命館宇治高校へ立ち寄る事とし、植物公園 - 宇治友が丘間に位置している同校の校門を通り抜けた学校敷地内にバス回転場を設置した。
同日にダイヤ改正を行い、宇治友が丘線のバスは基本的に早朝/深夜を除き立命館宇治高校を経由する事とした。この関係で210/240系統の大半は立命館宇治高校を経由する240/240A系統に改められた。同時に東宇治地区からの通学の便の確保、及び学校法人立命館側の要請もあり、移転を行わずに現状の場所で存置された立命館宇治高校寮[47]と校舎との往復を目的として、昼間時を中心に東宇治線の103系統と240系統の一部を一本化して統合する形で250/250A系統が設定された。同時に森本の1停留所菟道高校寄りの隼上り(はやあがり)と近鉄大久保の1つJR新田寄りの大久保[48]からの直通便[49]。が設定された。前者は往復共に同一の運行経路であるが、後者は立命館宇治高校発の便(復路)は大久保ではなく近鉄大久保行で設定された。この為復路は大久保を経由/停車しない。尚翌2003年に立命館宇治高校の敷地内に立命館宇治中学校も開校したが、既にこの改正で直通便の運行本数を中学校開校を見越したダイヤとしていた為、この開校によるダイヤ改正は特に行っていなかった。この他に太陽が丘線関連では、昼間時の東宇治線104系統と44系統を同様な方法で一本化した為43系統が5年振りに復活した。
この時点までに大久保小学校 - JR新田間の交差点の改良工事が完成し、同改正から宇治友が丘線・立命館宇治高校線に大型車が運用される事となったが、逆に小型車の運用がこの改正で廃止されている。
同改正ではリムジンセンターU-ハウス京阪宇治が京阪宇治に名称を戻す形で改称され、ふれあいの森が太陽が丘西ゲート前に改称されている。又京阪宇治交サービスの47系統がこの改正で廃止され、以後は大久保方面からのバスは京阪シティバスのみの運行となった。
この他に宇治田原町の維中前より280A系統も設定されたが、これは太陽が丘線や宇治友が丘線・立命館宇治高校線の関連系統では無い[50]為割愛する。尚280A系統は僅か数年で廃止された(廃止時期不明)。
その後4年間は余り変化は無かったが、2006年4月1日に京阪宇治交通が京阪宇治交通田辺と共に京阪バスと合併、これによるエリア調整を目的としたダイヤ改正により京阪宇治交通田辺営業所車両の太陽が丘線の運用(送り込み及び送り返し運用であった立場線運用を含めて)が廃止され同社が撤退し、太陽が丘線は京阪宇治バス宇治営業所の1社単独運行となった。尚この時点で宇治友が丘線・立命館宇治高校線は余り変化が無かった。
2007年11月10日改正では太陽が丘線では余り変化はなかったものの、宇治友が丘線・立命館宇治高校線は大幅改正を行い、210/210A系統は240/240A系統に変更され廃止となった。又宇治営業所の車両収容能力が1990年代後半以降限界に達した事と、車両及び乗務員運用の面から同改正で田辺営業所管轄の240/240A系統と直通便も設定され、これまで全便宇治所属車両のみしか停車していなかった立命館宇治高校回転場にも田辺所属車両が停車する様になった。250/250A系統等は従来通り全便宇治営業所管轄のままであった。その後田辺営業所は2008年5月10日より移転により京田辺営業所と改称している。尚宇治方面からの直通便の定期便(=一般路線系統。この場合は250A系統)への格上げがこの頃より行われる様になった[51]。
その後数度ダイヤの改正が軽微ながら行われている。2010年代最初の改正は2010年4月26日に改正を実施した。
2002年以降に新設された系統を以下に記す。
- 黄檗・宇治方面
- 240A・250・250A系統 (JR黄檗 - 黄檗公園 - 菟道高校 - 森本 - 宇治車庫(250/250A)) - 京阪宇治 - JR宇治駅 - 琵琶台口(→琵琶台3丁目/←琵琶台1丁目) - 太陽が丘西ゲート前 - 植物公園( - 立命館宇治高校(240A/250A)) - 宇治友が丘 - 寺山台 - 広野町宮谷(←大久保)- 近鉄大久保
- 立命館宇治高校臨時便→立命館宇治高校臨時便直通便(下記停留所のみしか停車しない快速運行の形態を採用している)
- 大久保系統 大久保(往路)/近鉄大久保(復路) - JR新田 - 立命館宇治高校
- 森本・宇治系統 隼上り - 森本 - 三室戸 - 宇治車庫 - 京阪宇治 - JR宇治 - 総合庁舎 - 琵琶台口 - 立命館宇治高校
2012年11月19日より近鉄大久保のバスターミナル完成により近鉄大久保の停留所は移転され、大久保駅口と大久保が廃止となった。これにより立命館宇治高校直通便は往復共に近鉄大久保発着に変更した。また京阪シティバス6号経路の平日の運行が廃止され、土曜・休日のみの運行となった。
2013年4月1日の改正で43系統は再度廃止されたが、新たに2代目40系統が明星町3丁目~京阪宇治~JR宇治~宇治文化センター、2代目40A系統が明星町3丁目~京阪宇治~JR宇治、2代目30系統が宇治文化センター~JR宇治~宇治郵便局~近鉄小倉で運行されることとなった。同時に三室戸停留所は三室戸と谷下りとに分割し、前者は宇治方面行きのみの停車となる。また41系統の菟道高校~羽戸山2丁目間に宇治方面行きのみ停車する羽戸山3丁目が新設された。[52][53]。なお、実質的な廃止区間は明星町3丁目 - 黄檗台間である。
また、時期は不明であるが、大久保方面からの太陽が丘へのアクセスを充実させる目的で、近鉄大久保~寺山台~宇治友が丘~太陽が丘で運行する220系統が後に設定されている。この系統は植物公園や宇治文化センターを経由せず宇治友が丘より直接太陽が丘に向かう。
2014年4月1日より、京阪宇治バスは京阪シティバスを吸収合併し、新社名「京都京阪バス」となり、2社共同運行から1社単独運行に変更された。また全便が洛南営業所と宇治営業所(他1営業所)とが移転集約されて設置した京都京阪バス八幡営業所の担当に変更されたが、京阪シティバス運行の6号経路は廃止された。同日、京阪宇治バスと京阪シティバスとの間で異なっていた停留所名について、合併を機に後者の停留所名に統一することとし、JR新田をJR新田駅に、城南荘を城南荘前に、JR宇治をJR宇治駅に、京阪宇治を京阪宇治駅に変更した。これとは別に京阪宇治バス単独区間であったJR黄檗を京都京阪バスに社名変更した同日にJR黄檗駅に改称した(近鉄駅と接続する停留所名については引き続き「駅」の表記を省略)。同時に240号経路の一部が八幡車庫への入出庫運用となったため、宇治市役所発着に短縮の上で変更された。なお、京都京阪バスへの移行を機に、系統番号の呼称をこれまでの「XX系統」より旧・京阪シティバスと同様の「XX号経路」に、正式名称を「系統番号」より「運行経路番号」にそれぞれ変更した。よって、以降の記述についても「運行経路番号」及び「XX号経路」として記述する。その後同年6月1日に小倉地区路線の廃止で2代目30A号経路を廃止した。
2016年8月7日より、府道新宇治淀線が開通し、210・210A・220・240・240A号経路および立命館宇治高校直通便の広野町宮谷~近鉄大久保間の経路が変更され、新たにJR新田駅南口停留所が開業したが、代わりに大久保小学校停留所は廃止され、JR新田駅も経由しなくなった。これにより立命館宇治高校直通便は途中停車停留所をJR新田駅南口に変更した[54]。しかし、2018年9月15日改正より広野町宮谷~JR新田駅南口間に以前の位置と異なる場所で大久保小学校停留所が復活した[55]。
2019年4月6日、京都京阪バスでは全国的に顕在化したバス運転手の著しい不足および在籍運転手の労働環境改善の観点から、八幡営業保管内全路線で大幅にダイヤを改定することとなり、早朝及び深夜時間帯に於ける減便と運行区間短縮による運行経路番号の変更、最終便の繰上げと始発便の繰下げを太陽が丘線および黄檗宇治大久保線の全運行経路に対しても実施した[56]。これにより黄檗宇治大久保線では京阪宇治駅発の最終バスは大幅に繰り上がり、平日は21時8発、土曜・休日では21時5分発の240号経路となり、また近鉄大久保発の最終バスは平日は22時8分発、土曜は21時24分発、休日では20時54分発の240号経路の区間便である宇治市役所行となり、その他の時間帯でも夕方ラッシュ時終了後を中心に減便および京阪宇治駅 - 宇治市役所間の部分減便となった。太陽が丘線に付いても一部便の時刻変更等を実施している[57][58][59]。
京都大作戦輸送[編集]
この他にも、京阪宇治バス時代の2008年[60]より毎年7月の2日間(2017年開催のみ平日1日が追加され3日間)に太陽が丘で開催される野外ロック・フェスティバル「京都大作戦」の際は、京阪宇治駅・JR宇治駅・近鉄大久保から太陽が丘までの臨時シャトルバスが運行されている[61]。なお、この臨時シャトルバスは専用のシャトルバスチケットの購入者のみしか乗車出来ない(手ぬぐいが付録でついている関係上、往復1200円(2013年までは800円[62]、2014年より2018年までは1000円[63][64])と一般路線バスと比較して割高となっている)[65]。太陽が丘線ではこの京都大作戦の観客輸送が最も書き入れ時となっているが、京都京阪バス車両だけでは車両不足となる為、京都大作戦臨時シャトルバスに限り京都バスや京阪バスからの応援の車両でも運行されている。また、京都京阪バスは京都大作戦臨時シャトルバスおよび定期便とは別に、自社の車両のみではあるが、途中の停留所にはすべて停車しない宇治方面への直通臨時便(系統番号未制定)を、京阪宇治駅・JR宇治駅 - 太陽が丘ゲート前・太陽が丘で運行している[66]。
車両[編集]
本路線では一般車両の他、ワンロマ車等が運用されているが、2019年より、塗装は一般車と同様ではあるが、後方の座席を茶室風に再現した貸切車兼用の一般路線バスの特別仕様車「宇治茶バス」が導入され、同年3月27日より暫定的に運用を開始した後、同年4月6日の全線ダイヤ改正で土曜ダイヤ及び休日ダイヤ時に運用を限定して運行開始し、本路線では両ダイヤ共宇治茶バスが運用されており、京阪宇治駅9時40分発の44号経路とその折返しの太陽が丘10時発の45号経路で充当され、また関連路線の⻩檗宇治⼤久保線でも休日ダイヤのみ京阪宇治駅13時52分発の240A号経路で運用されている(土曜ダイヤ実施日は240A号経路への充当はされない)[67]。但し、自社の都合や整備により一般車両で運行する場合がある[68]。尚、平日ダイヤ実施日でも運用される場合があるが、土曜ダイヤ及び休日ダイヤ実施時とは異なり、運用は限定されておらず、また貸切車として運用されることもあるため、本路線で運用されない場合もある[69]。
参考文献・出典[編集]
- 京阪宇治交通「地域とともに六十年」 1983年
- 洛南タイムス 1990年12月19日、12月20日発行分
- 京阪宇治交通「宇治友が丘線時刻表」 1995年4月無料配布
- 京阪宇治交サービス 2002年9月1日改正告知掲示(宇治営業所掲示分)
- 京阪宇治バス 2007年11月10日改正告知掲示(田辺・宇治営業所掲示分)
- 京阪宇治バス 2009年4月26日改正告知掲示(京田辺・宇治営業所掲示分)
- 立命館宇治中学校・高等学校・京阪宇治バス 立命館宇治高校直通便ダイヤ
- その他、京阪宇治交通・京阪宇治交サービス・京阪宇治バス発行及び配布時刻表(各改正毎。インターネット時刻表を含む)、路線図、運行系統表
- ガーデンズ天ヶ瀬 開店告知パンフレット最終面(簡略路線図)
- JTBホームページ「京都大作戦シャトルバス案内」
脚注[編集]
- ↑ 京阪宇治バス→京都京阪バスでの正式名称は「黄檗宇治大久保線」であるが、本項では旧・京阪宇治交サービス時代末期以降の正式名称である「立命館宇治高校線」及び旧・京阪宇治交通の正式名称である「宇治友が丘線」で記述する。
- ↑ 同施設へのアクセスバスは「ビールオムニバス」「ビールシャトルバス」「イブニングビールバス」の3種類があった。「ビールオムニバス」とは午前から夕方までに運行され、比較的遠目の場所よりガーデンズ天ヶ瀬へアクセスする系統、「ビールシャトルバス」とは夕方以降閉店時間直後まで運行されるバスで、「近い人はより近く」をテーマに宇治周辺の在住者のガーデンズ天ヶ瀬への夕食利用者の誘致を目的とした系統、「イブニングビールバス」とは夕方から夜間に1日数本のみであるが、遠方在住者のガーデンズ天ヶ瀬への夕食利用者の誘致を目的とした系統である。なお、「イブニングビールバス」は太陽が丘線関連では該当系統が無い為記述は割愛する。
- ↑ 1978年3月3日着工。内第1工区が1980年4月22日完成。同年9月入居開始。計画戸数491戸、開発面積154,000㎡である。
- ↑ 琵琶台線開業時に「総合庁舎」に改称し、後に京阪宇治バスと京阪シティバスとの合併による京都京阪バスの発足時に「総合庁舎前」に再度改称した。これは琵琶台線沿線に「宇治市役所」停留所を新規に開設した為である。
- ↑ 運行開始当時は路線名は「琵琶台線」であったが停留所名は「びわ台」であった。同停留所の所在地は京都府宇治市琵琶台3丁目1-18である。
- ↑ 国鉄宇治駅 - びわ台間等が該当する。
- ↑ 外周道路完成までは住宅地内の道路を使用してバスを転回していた。
- ↑ 公園自体の計画発表は1978年2月28日であった。
- ↑ 京阪宇治交通側は「(宇治市中央部は)創業以来の当社営業区域であり、当社単独路線である琵琶台線に京阪バスが乗り入れることは予期していなかった。」と同社社史「地域とともに六十年」(pp.196)に記されていた。
- ↑ 但し茶業センター折返しの定期便は宇治方面からの系統にしか設定されていない。これは茶業センターが太陽が丘ゲート前に改称され、運行事業者が京阪宇治交サービスと京阪宇治交通との共同運行より京阪宇治交通と京阪宇治バスとの共同運行、更に京阪宇治バス単独運行時代を経て京都京阪バスとなっている現在でも変わりがない。
- ↑ 太陽が丘停留所の所在地は京都府宇治市広野町八軒屋谷1-1先となっている。
- ↑ 但し臨時便の運行は2010年代に入った現在でも継続されている(参考 京阪宇治バス公式HP記載の2011年夏季臨時便時刻表)。
- ↑ 宇治市と記述したのは同じ京阪宇治交通の路線であった八幡田辺線にも新田が設置されていた事によるものである。尚新田と国鉄新田は同じ宇治市に位置しているが全く別の場所にある停留所であり、関連は無い。
- ↑ 尚同停留所はこの当時「南京信本店前」との副名称も付けられていた。
- ↑ この為近鉄寺田系統は琵琶台地区を経由する便は設定されなかった。
- ↑ 当時は久御山町にも同名の停留所があり、区別の為バス方向幕には「宇治田原工業団地」と記していた。尚久御山町の工業団地は2010年4月26日改正で「久御山工業団地」と改称され停留所名の重複は解消されている。太陽が丘線とは茶業センター→太陽が丘ゲート前 - 太陽が丘間を除き重複している。
- ↑ 2005年廃止。
- ↑ この改正で町並町から改称された。1997年7月26日改正で再び「JR六地蔵」に改称され、2006年12月頃に「JR六地蔵」と「JR六地蔵イトーヨーカ堂前」に分割された後、イトーヨーカ堂六地蔵店閉店後もこの形態であったが、2018年3月17日改正で後者が廃止され2006年以前の形態に戻った。
- ↑ この間の停車停留所は勧進橋(かんじんばし)、墨染、丹波橋通、御香宮、桃陵団地(とうりょうだんち)であり、宇治車庫/太陽が丘行きは乗車のみ、京都駅行きは降車のみ取り扱っていた。
- ↑ 京阪六地蔵及び菟道高校(及び休日は京都駅)発着分を含む。
- ↑ 1988年11月11日改正で「西小倉」に改称されている。
- ↑ これは新設ではなく黄檗バス停の移転改称扱いとなった。尚太陽が丘線関連ではこの他にも41/41A/41B/41C系統も黄檗駅停車となった。
- ↑ 京阪宇治交通では42と49を欠番にする方針を採っていたが、42と49を除く40番台が全て使用されていた為、今回の改正を機に49に付いてのみ欠番を解除した。
- ↑ 同区間は一部を除き4m程度の道幅である。
- ↑ この他明星町3丁目 - 志津川口間にも存在する。
- ↑ この表示内容は「対向車注意 大型車がきます ご注意ください」である。洛南タイムス 1990年12月19日発行分に写真入りで紹介。
- ↑ 尚この記念乗車券の裏面に書かれた路線図には明星町・黄檗界隈のみではなく太陽が丘からの黄檗までの全線が記されていた。
- ↑ この他の時間帯は東宇治線の104系統(黄檗駅 - 菟道高校 - 明星町1丁目 - 宇治車庫)を中心に運行され、この他にも105系統(黄檗駅 - 菟道高校 - 明星町1丁目)も朝ラッシュ時の1往復のみ設定されていた。尚これらの系統は太陽が丘線ではなく東宇治線の系統である為記述を割愛する。
- ↑ 特に琵琶台3丁目を経由する43A系統と43C系統の設定が多かった。
- ↑ 同時にこの界隈での東宇治線の運行方法が一部系統で変更されているが、この界隈で運行の太陽が丘直通系統はこの改正までは菟道高校折返しのみであった為これに該当した系統は無い。
- ↑ 昼間時の1時間に1本は必ず240系統が設定されていた。
- ↑ 東御蔵山線は1989年10月12日運行開始。運行開始当時は線内運行のみであったがこの改正で京阪六地蔵直通や宇治/太陽が丘直通(何れも現在廃止)が設定された。
- ↑ 但し折居台口とほぼ同一位置であるものの、車内放送や掲示物での乗換案内は特にされていなかった。
- ↑ 但し宇治車庫以北に直通する系統を除く。
- ↑ 但しこの時点では大久保線と小倉線は宇治車庫発着のままで存続された。東宇治線も宇治車庫 - リムジンセンターU-ハウス京阪宇治間を延長している(京都駅発着の109系統を除く)。即ち大久保線/小倉線/京都線は宇治車庫、その他の路線はリムジンセンターU-ハウス京阪宇治発着に分離/統一した。
- ↑ 但し関連系統である41A系統は109系統に系統番号を変更して冬季も運行する事とし、平日を含めた全日運行に切り替わったが、翌1998年1月21日改正で廃止された。尚この時点で太陽が丘線関連系統から東宇治線関連系統に戻った。
- ↑ 京阪宇治交通の場合、1停留所でも発着地や経由地が異なると別系統として取り扱っていたが、これによりこの路線のみは例外となった。
- ↑ このレストランは短命であり、5年後の2002年10月に閉鎖した。
- ↑ 1997年7月26日より2002年10月頃までの名称。その後1997年7月25日以前の松井山手駅に戻す。
- ↑ 折居台口を宇治市文化センターに統合する形となったが、この際に停留所名は「市」を省略する事となった。
- ↑ この他にも琵琶台口 - 宇治友が丘間はパターン外となるがG48系統も1時間に1本が運行されていた。
- ↑ 全線を通して乗車する旅客は皆無であった。
- ↑ この改正で48系統は平日/土曜/休日共に2往復のみとなった。
- ↑ 路線は休止扱いとなっている。
- ↑ 1992年3月20日より庭井から改称。
- ↑ 三室戸 - 森本間に位置。現在旧校舎跡地は野球部等が使用するグラウンドとなっている。
- ↑ 立命館宇治高校寮「FIRST HOUSE」の場所は森本バス停付近である。
- ↑ 近鉄大久保停留所の真裏(国道24号沿い)に位置していた(公式サイト案内)。
- ↑ 2002年9月1日より2007年11月9日までは「臨時便」と称していた。
- ↑ 280A系統は立場線の関連系統である。
- ↑ 但しこの改正以前に直通便から定期便への格上げが行われていたかは不明である。
- ↑ 京阪宇治バス公式HP「宇治市内路線等のダイヤ改正について」
- ↑ http://www.ujibus.co.jp/top-p/rireki9/0308rosenzu.pdf(PDF)
- ↑ 府道 新宇治淀線開通に伴う経路変更等について(京都京阪バス公式ホームページ)
- ↑ バス停留所の新設について(京都京阪バス公式ホームページ)
- ↑ 謹告 - 京都京阪バス公式ホームページ
- ↑ 2019年4月6日(土)ダイヤ改定のお知らせ 宇治友ヶ丘・大久保方面 240・240A 京阪宇治駅~近鉄大久保 - 京都京阪バス公式ホームページ
- ↑ 2019年4月6日(土)ダイヤ改定京阪宇治駅黄檗宇治大久保線・太陽が丘線・立場線時刻表 - 京都京阪バス公式ホームページ
- ↑ 2019年4月6日(土)ダイヤ改定近鉄大久保黄檗宇治大久保線時刻表 - 京都京阪バス公式ホームページ
- ↑ 京都大作戦の第1回は2007年に開催を予定していたが、直前で中止となった(同イベントはその後2018年にも開催中止となっている)。なお、京都大作戦が中止となった場合は、臨時シャトルバス及び直通臨時便の運行も連動して中止となる。
- ↑ 京都大作戦公式HP内のシャトルバス案内(2019年開催分)
- ↑ 京都大作戦公式HP内のシャトルバス案内(2013年開催分)
- ↑ 京都大作戦公式HP内のシャトルバス案内(2014年開催分)
- ↑ 京都大作戦公式HP内のシャトルバス案内(2018年開催分。同年は中止となったため運行も急遽中止した)
- ↑ 京都大作戦シャトルバスの京都京阪バス担当便のLED表示幕は「貸切 京都大作戦」と表示される。
- ↑ シャトルバスとは異なり、この直通便は一般路線バス扱いであり、一般旅客でも乗車でき、運賃も定期の44系統と同一である。なお、往路は便によりJR宇治駅発と京阪宇治駅発とを、太陽が丘着と太陽が丘ゲート前着とをそれぞれ混在させ、復路の便についても太陽が丘発と太陽が丘ゲート前発・JR宇治駅着と京阪宇治駅着とを同じ様にそれぞれ混在させている。直通便の方向幕は京都大作戦シャトルバスとは異なり、一般旅客も利用可能である関係上、LED表示車両の場合は「直通 京阪宇治駅」(2013年までは「直通 京阪宇治」)「直通 JR宇治駅」(2013年までは「直通 JR宇治」)「直通 太陽が丘ゲート前」「直通 太陽が丘」と表示される。
- ↑ 宇治茶バス ご案内 - 京都京阪バス。2019年5月1日閲覧。
- ↑ 宇治茶バス 【土曜日・日曜日】 通常のバスで運行する予定日 - 京都京阪バス。2019年5月1日閲覧。
- ↑ 路線バス車内に「茶室」! 障子、畳、ポールは竹!? 「宇治茶バス」の内装がスゴイ - 乗りものニュース。2019年4月28日発信、同年5月1日閲覧。