吉良氏朝
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吉良 氏朝(きら うじとも、天文11年(1542年) - 慶長8年9月6日(1603年10月10日))は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将で後北条氏の一族。後北条家滅亡後は徳川氏に仕えた。妹に香沼姫がいる。
生涯[編集]
父は堀越六郎で嫡子。母は北条氏綱の娘・崎姫(高源院)。実父は16歳の時に死去しているが、堀越氏の領土はそれ以前に河東一乱で氏綱や氏康に味方した結果、今川義元に制圧されていたので、北条氏康の甥にあたる縁から氏康に庇護されていた。永禄3年(1560年)12月に吉良頼康の養子となる。永禄4年(1561年)2月の頼康の隠居に伴い、家督を相続した。なお、養子になると同時に北条幻庵の娘である鶴松院殿を氏康の養女とした上で妻に迎えている[1][2]。
天正元年(1573年)10月には左兵衛佐を称した。天正18年(1590年)の小田原征伐で後北条家が滅亡した後は徳川家康に仕え、さらに家督を嫡子・氏広に譲って隠居。慶長8年(1603年)9月6日に死去した。享年62。法名は実相院殿学翁(宗高)玄参居士。世田谷の実相院が菩提寺として建立された[1][3]。