鶴松院殿(かくしょういんでん、生没年不詳) は、戦国時代の女性。後北条氏の一族。
父は北条幻庵で、後北条家の当主・北条氏康の養女となり、永禄3年(1560年)12月に吉良氏朝に嫁いだ。この際に幻庵から輿入れに際しての様々な心得として『宗哲覚書』を送られている[1]。
氏朝との間には永禄11年(1568年)に嫡男の吉良氏広(蒔田頼久)を生んでいる。法名は鶴松院殿快密寿慶大姉[1]。
夫に先立って天正7年(1579年)から天正15年(1585年)の間に死去したと言われている[1][2]。