堀越六郎
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堀越 六郎(ほりこし ろくろう、生没年不詳)は、戦国時代の武将。今川氏の一族。
生涯[編集]
祖父は堀越貞基。父は堀越氏延[1]。氏延の嫡子であることはわかっており、当主が名乗る六郎を名乗っていることまでは史料からも確認できるが、諱は不明。
天文6年(1537年)の河東一乱が北条氏康と今川義元との間で勃発した際、六郎は父の氏延と共に氏綱に味方した。このため、氏綱からその関係を強化するため、娘の崎姫(高源院)を正室に迎えている[2]。
父の氏延は天文7年(1538年)を最後に史料上に所見されないため、この頃に死去して家督を相続した可能性がある。しかし天文10年(1541年)、今川義元の攻撃を受けて六郎は降伏した。ただし、一族ゆえか許されたようで天文13年(1544年)11月に「遠州今川殿」の史料が確認できる。ただし、これ以降の史料は確認できない[1]。
崎姫との間には天文11年(1542年)に長男の吉良氏朝、天文15年(1546年)に長女の香沼姫が生まれているため、少なくとも天文15年までは存命していたことになる[2]。
弘治3年(1557年)9月、崎姫は伊豆国山木郷(現在の静岡県伊豆の国市)に居住し、夫の六郎の菩提寺を建立しようとしている[1]。つまりこの頃までには死去していたようである。法名は正覚院殿大円宗忠大禅定門[2]。