崎姫
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崎姫(さきひめ、? - 天正14年8月24日(1586年10月6日))は、戦国時代の女性で後北条氏の一族。北条氏綱の娘で、北条氏康の妹。堀越六郎の正室。吉良氏朝と香沼姫の生母。
生涯[編集]
氏綱の娘である崎姫は、氏綱が今川義元と河東一乱で争った際、堀越氏延が氏綱に味方したので、その関係を強化するために氏延の嫡子である六郎に嫁いだといわれている。婚姻時期に関しては河東一乱が勃発した天文6年(1537年)から息子の氏朝を生む天文11年(1542年)までの間が考えられている[1]。
崎姫のその後の経歴は定かではないが、堀越氏は天文10年(1541年)に今川義元によって制圧されている。そして、堀越氏の史料は天文13年(1544年)11月を最後に見られなくなる。ただ、娘の香沼姫は天文15年(1546年)生まれであるため、ここまでは夫婦として生活していた可能性がある[1]。
弘治3年(1557年)9月、崎姫は伊豆国山木郷(現在の静岡県伊豆の国市)に居住し、夫の六郎の菩提寺を建立しようとしている。この頃までに夫を失い、兄の氏康に身柄を引き取られて堪忍分として山木郷を与えられて居住していたようである。このため、「山木(御)大方」と称された[1]。
天正14年(1586年)8月24日に死去した。法名は高源院長流泉香大姉。菩提寺として小田原の谷津に高源院が建立された[2]。