佐貫城

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佐貫城(さぬきじょう)とは、現在の千葉県富津市佐貫にかつて存在した日本である。

概要[編集]

室町時代前期の応永年間(1394年 - 1428年)に武田義広が築城したといわれている。後に安房国主・里見氏の属城となり、天正18年(1590年)の小田原征伐の後に関東に入部した徳川家康が、家臣の内藤家長に2万石を与えて佐貫城主とした。これが佐貫藩の起源でもある。家長は佐貫城の本丸・2の丸・3の丸を築き、近世的な城郭に改めた。家長は慶長5年(1600年)に関ヶ原の戦いの前哨戦となる伏見城の戦いで戦死した。

元和8年(1622年)、家長の子・内藤政長陸奥国磐城平藩移封される。その後は松平忠重松平勝隆などが城主となるが、貞享元年(1684年)に松平重治の時代に改易されて佐貫藩も廃藩となる。宝永7年(1710年)になって阿部正鎮三河国刈谷藩から1万6000石で入部し、阿部氏によって佐貫城の大改修が開始される。このときに堀、櫓台、外郭、武家屋敷などが増設され、城構えがさらに整備された。なお、阿部氏が歴代城主として続いて明治維新を迎える。なお、戊辰戦争の際には江戸から房総鎮定のために佐貫城に進駐した官軍と、幕府軍脱走兵との間で、城の付近を舞台に小規模戦闘が行われている。

アクセス[編集]

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