佐藤昇 (経済学者)
佐藤 昇(さとう のぼる、1916年5月19日 - 1993年3月19日)は、経済学者、評論家。岐阜経済大学名誉教授[1]。社会主義の理論家で、構造改革派の代表的論客。
略歴[編集]
東京都豊島区要町のサラリーマンの家庭に生まれた。東京府立第五中学校(現・都立小石川高等学校)を経て、東京外国語学校(現・東京外国語大学)英語部に進学。在学中、左翼学生R・S(読書会)グループ活動に従事し、唯物論研究会(唯研)の沼田秀郷とつながりを持つ。学外では戸坂潤らの唯研に学生会員として参加した。1939年1月、唯研事件に関連して各学校の左翼学生グループが弾圧された「インター・カレッヂ」事件でR・Sグループ関係者らと共に治安維持法違反容疑で検挙された[2]。同年東京外国語学校英語学科卒業[1]。1940年10月に東京地裁第1審判決で懲役2年の判決を受け、控訴したために東京外国語学校を中退させられたが、後に特別で卒業扱いとなったものである[2]。控訴院第2審で執行猶予の判決を受け、同年に『日刊工業新聞』記者となったが[3]、1944年に治安維持法違反(反戦運動)容疑で再び検挙され、敗戦後に解放された[2]。
戦後すぐに日本共産党に入党。1946年に再び『日刊工業新聞』に勤務し、同年約半年後に『東京民報』外信部に移り、その記者となった[2][3]。1948年東京民報社解散のため労働調査協議会に入り、1952年まで勤務する。共産党の50年問題では国際派に所属し、久保田俊吾の筆名で党中央を批判する論文を発表した[3]。『イズベスチヤ』東京特派員であった1957年に「現段階における民主主義」(『思想』1957年8月号)を発表し、イタリア共産党の構造改革路線を紹介[4][5]。同年に党中央が提案した党章(綱領)草案を批判。1959年4月に井汲卓一、長洲一二、安東仁兵衛[6]らと第一次『現代の理論』を創刊。同誌は党中央により規律違反として59年8月[6]の第5号で廃刊させられた。その後、経済分析研究会を組織し、『季刊・日本経済分析』を発行[3]。日本独占資本が帝国主義的復活を遂げ、基本的にアメリカ帝国主義から自立しているとし、構造改革を通した反独占社会主義革命路線を理論化した。日本をアメリカ帝国主義の従属国と規定し、民主主義革命と社会主義革命の二段階革命論の立場に立つ党中央と対立した[3][7]。60年安保闘争頃に党中央を厳しく批判して、第8回党大会直前の1961年7月18日に春日庄次郎、大橋周治[7]、前野良[3]らとともに除名された。以降、構造改革派の代表的論客として知られる[2]。
共産党除名後は日本社会党に入党[8]、江田派の論客として活躍した[2]。社会主義協会派との軋轢はあったものの、党内で一定の影響力を持った。春日庄次郎らが1961年10月に結成した社会主義革新運動準備会(社革新)に参加、その分裂後は1962年5月の統一社会主義同盟(統社同)の結成に参加[3]、井汲卓一、安東仁兵衛らと中心メンバーとなった[7]。1961年に現代社会主義研究会を組織し[3]、その中心メンバーとなった[2]。1964年2月に第二次『現代の理論』が創刊されると編集委員となった[3]。1966年、日ソ交流親善東京協会常任理事。1967年に岐阜経済大学助教授、1970年に同教授となり、定年まで勤めた[2]。1977年の江田三郎の社会党脱党においてその中心的役割を果たす[9]。1970年以降は社公民路線を提唱し、社会民主主義の立場からソ連型マルクス主義や中国型マルクス主義を批判した[3][2][10]。
1993年3月19日、脳内出血のため水戸市の病院で死去。享年76歳[9]。
著書[編集]
単著[編集]
- 『経済学入門』(合同出版社[合同新書]、1957年)
- 『現代帝国主義と構造改革』(青木書店、1961年)
- 『日本のマルクス主義と国際共産主義運動』(三一書房、1964年)
- 『しのびよる社会主義――動態的世界経済入門』(光文社[カッパ・ブックス]、1965年)
- 『革新の神話を超えて』(現代の理論社、1978年)
- 『いま「社会主義」とは何か――マルクス・レーニン主義批判』(労働社会問題研究センター出版局[労働センター叢書]、1980年)
- 『社会民主主義のすすめ』(労働社会問題研究センター出版局[労働センター叢書]、1981年)
共著[編集]
- 『現代史入門』(豊田四郎共著、合同出版社[合同新書]、1958年)
- 『現代日本の革新思想』(梅本克己・丸山真男共著、河出書房新社、1966年/上・下、岩波書店[岩波現代文庫]、2002年)
- 『新しい社会主義――その体制と運動の革新』(名和統一共著、河出書房新社[現代の経済16]、1966年)
編著[編集]
- 『現代資本主義の構造と循環』(名和献三共編、合同出版社、1960年)
- 『構造改革とはどういうものか』(石堂清倫共編、青木書店[青木新書]、1961年)
- 『日本における構造改革(全2巻)』(編、三一書房、1961年)
- 『講座現代のイデオロギー(全6巻)』(井汲卓一・長洲一二・水田洋共編集委員、三一書房、1961-1962年)
- 『国家独占資本主義と経済循環』(編、合同出版社、1962年)
- 『現代マルクス主義入門』(井汲卓一・長洲一二共編、合同出版社[合同新書]、1963年)
- 『社会主義の新展開』(編集・解説、平凡社[現代人の思想18]、1968年、改訂版1968年)
- 『社会主義の再生のために』(編、風媒社、1986年)
訳書[編集]
- S・ムーア『マルクス主義国家論――ブルジョア民主主義批判』(相原文夫共訳、合同出版社、1960年)
- H・フェイガン『現代資本主義と国有化』(合同出版社[合同新書]、1961年)
- ジョン・ルイス『社会主義と個人』(合同出版社、1962年)
- スミスほか『イギリスの近代経済思想』(水田洋ほか訳、河出書房新社[世界思想教養全集5]、1964年) - マルサス「人口論」を担当
- モーリス・ドッブ『資本主義と社会主義』(合同出版[合同新書]、1967年)
- サム・アーロノヴィッチ『賃金論入門――労働者のための経済学』(合同出版社[合同新書]、1967年)
- ペリー・アンダスン、ロビン・ブラックバーン『ニュー・レフトの思想――先進国革命の道』(河出書房新社、1968年)
出典[編集]
- ↑ a b 日外アソシエーツ編『20世紀日本人名事典 そ-わ』日外アソシエーツ、2004年、1181頁
- ↑ a b c d e f g h i 近代日本社会運動史人物大事典編集委員会編『近代日本社会運動史人物大事典 2』日外アソシエーツ、1997年、804-805頁
- ↑ a b c d e f g h i j しまねきよし「佐藤昇」朝日新聞社編『現代人物事典』朝日新聞社、1977年、582-583頁
- ↑ 塩田潮『江田三郎――早すぎた改革者』文藝春秋、1994年
- ↑ 岡田一郎『日本社会党―その組織と衰亡の歴史―』新時代社、2005年
- ↑ a b 松村良一「現代の理論」戦後革命運動事典編集委員会編 『戦後革命運動事典』新泉社、1985年、87頁
- ↑ a b c 泉川義彦「佐藤昇」戦後革命運動事典編集委員会編 『戦後革命運動事典』新泉社、1985年、108-109頁
- ↑ 貴島正道 『構造改革派―その過去と未来―』現代の理論社 立命館大学大学院先端総合学術研究科
- ↑ a b 「佐藤昇氏死去 構造改革派の論客」『朝日新聞』1993年3月20日付朝刊1社27面
- ↑ 「平和人物大事典」刊行会編著『平和人物大事典』日本図書センター、2006年、270頁
参考文献[編集]
- 紀田順一郎ほか編『現代日本執筆者大事典77/82 第1巻 (か~し)』(日外アソシエーツ、1984年)
- 佃實夫ほか編『現代日本執筆者大事典 第2巻 (人名:か~し)』(日外アソシエーツ、1978年)
- 平凡社教育産業センター編『現代人名情報事典』(平凡社、1987年)
- 佐藤昇(さとう のぼる)とは - コトバンク
- 佐藤 昇(サトウ ノボル)とは - コトバンク