統一社会主義同盟
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統一社会主義同盟(とういつしゃかいしゅぎどうめい)は、構造改革派系の社会主義運動団体。略称は統社同。
前身は1961年10月に結成された社会主義革新運動準備会(略称:社革)。社革内で構造改革論を主柱に連絡協議会組織を目指す春日庄次郎・山田六左衛門らと、前衛党結成を目指す内藤知周・西川彦義らとの間で内部対立が起き、1962年5月に春日らが社革を離脱して統一社会主義同盟(統社同)を結成した[1]。またその学生組織として社会主義学生戦線を結成した[2]。機関紙は『平和と社会主義』、準機関誌は『現代の理論』[1]。
その後、学園闘争・反戦闘争が高揚する中で指導部の構造改革・平和共存路線が批判されるようになり、1969年9月の統社同第8回大会で世界革命論への転換を主張するフロント(社会主義学生戦線の通称)の活動家が指導部の実権を掌握した[1][3]。山田六左衛門議長、安東仁兵衛書記長は退陣し[1]、新たに小寺山康雄議長、高田麦書記長が選出された[4]。以降は構造改革路線を捨てて急進化・新左翼化し、フロントは1969年9月の全国全共闘結成大会に主要セクトの一つとして参加した[5]。社会主義学生戦線の通称「フロント」は、学生が最前線で闘うという意味で、実際にフロントは機動隊に火炎瓶や石を投げつけるなど過激な活動を行っていた[6]。1970年12月の統社同第9回大会で「日本共産主義革命党」に改称し、後に「フロント(社会主義同盟)」に改称した。