貴島正道

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

貴島 正道(きじま まさみち、1918年3月15日 - 2008年[1][2])は、政治評論家。日本社会党中央執行委員、日本東チモール協会会長、社団法人現代総合研究集団理事などを務めた[3]。戦時中は陸軍主計少尉[4]

経歴・人物[編集]

鹿児島市生まれ[3]。1941年九州帝国大学法文学部卒業[5]。新京陸軍経理学校卒業[6]。陸軍主計将校として1942年から戦地に赴任。1943年から東ティモールに赴任[5]。抑留を含め4年近く過ごし、1946年に帰国した[4]

1946年から1970年まで日本社会党本部に勤務[5]。1950年代末に佐藤昇らによって日本に紹介された構造改革論を、社会党では森永栄悦、貴島正道ら書記局の活動家が推進した[7]。構造改革論を推進した加藤宣幸、森永栄悦、貴島正道の3人は「構革三羽烏」と呼ばれた[8]。のち社会党中央執行委員を務め、江田三郎の懐刀として知られた。1970年に社会党を離れた後も在野から言論活動を続け[4]、1972年に社団法人現代総合研究集団を設立した[5]。1977年に江田三郎、菅直人らと社会市民連合(のち社会民主連合)の結成に携わり[4]、政策顧問を務めた[9]

東ティモールからの帰国直後に「日本東チモール協会」を設立し、東ティモールのポルトガルからの独立を支援した[10]。1976年に東ティモールがインドネシアに併合された後は独立運動を支援するほか、人権侵害を告発するキャンペーンを行った[9]。1985年に「東京東チモール協会」を設立して会長となった[11]。開発支援のため東ティモールに国会議員の視察団を派遣したり、ベロ司教をノーベル平和賞に推薦する運動を行ったりした[10]。1989年に第三書館から刊行された『小さな島の大きな戦争――東チモール独立運動をめぐる大規模人権侵害』(アムネスティ・インターナショナル日本支部編)の出版に尽力した[9]

1999年時点で東京東ティモール協会代表、「菅直人を応援する会」会長、社団法人現代総合研究集団理事[5]

著書[編集]

  • 『構造改革派――その過去と未来』(現代の理論社[現代の理論叢書]、1979年)

出典[編集]

  1. 高見圭司証言:戦後社会党・総評史 日本社会党青年部再考 : 『NO! 9条改憲・人権破壊』(明石書店,2007年)をもとに : 高見圭司氏に聞く(下)PDF」『大原社会問題研究所雑誌』682号、2015年8月
  2. 4/16 貴島正道さんが往く きょうも歩く(朝霞市議会議員・くろかわしげる(黒川滋)の公式の活動日記&報告)(2008年4月16日)
  3. a b 日外アソシエーツ編『新訂 現代日本人名録2002 2.かな~せ』日外アソシエーツ、2002年、324頁
  4. a b c d 「代議士・菅直人:2(「在る。」) 【西部】」『朝日新聞』1999年11月21日付朝刊30面(2社)
  5. a b c d e 「貴島正道氏略歴」『GFRS ISSUES SERIES No.22「東ティモール問題~その過去と未来、そして世界と日本-貴島正道-」』東京財団、平成11年度 日本財団図書館
  6. 「2. 講師報告」『GFRS ISSUES SERIES No.22「東ティモール問題~その過去と未来、そして世界と日本-貴島正道-」』東京財団、平成11年度 日本財団図書館
  7. 「「現代の理論」 構革派の歴史と共に終止符(現在史ウオッチング)」『朝日新聞』1994年12月27日付朝刊7面(政治)
  8. 貴島正道『構造改革派―その過去と未来―』現代の理論社
  9. a b c 「貴島正道さん 東チモール戦いの記録に没頭(人きのうきょう)」『朝日新聞』1989年4月26日付夕刊2面(2総)
  10. a b 「貴島正道さん 東ティモールを支援して半世紀(ひと)」『朝日新聞』1999年9月10日付朝刊3面(3総)
  11. 東チモール独立記念対談  2002/09/01 江田五月 – 新たな出発