新左翼
新左翼(しんさよく、英語:New Left)とは、1950年代以降に既成の共産党に反発して生まれた国際的な左翼運動の潮流。
概要[編集]
狭義にはイギリスで1960年に発刊された雑誌『ニューレフト・レビュー』周辺の人々や運動のことを指し[1]、「新左翼」という呼称はこれに由来する[2]。1956年のスターリン批判やハンガリー動乱によりソ連を始めとする各国共産党の権威は大きく揺らぎ、世界各地で共産党に替わる新たな政治勢力が生まれた。また先進資本主義各国ではケインズ主義的福祉国家が成立し、曲がりなりにも「豊かな社会」が実現したが、管理社会に反発して社会変革を目指す動きが現れた。これらの主に学生や知識人を中心とした新たな左翼勢力が「新左翼」と呼ばれている。新左翼は従来の共産党や社会民主主義政党を「旧左翼」「既成左翼」と呼んで批判し、議会政治を否定して街頭での直接行動や急進的な革命を志向した。
ベトナム戦争や文化大革命を受け、先進国の反戦運動や学生運動は国際的な盛り上がりを見せた。イマニュエル・ウォーラーステインは、「世界革命は、これまで二度あっただけである。一度は1848年に起こっている。二度目は1968年である」と述べている[3]。1970年代に入ってからは停滞し、テロリズムや内ゲバもあって大衆の支持を失うが、エコロジーやフェミニズム、マイノリティー運動、住民運動などに大きな影響を与え、新しい潮流を生み出している。ヒッピー文化やロック音楽などのカウンターカルチャー、ポストモダン思想にも影響を与えている。
1990年代初頭の冷戦終結によって共産主義国家の元締めであったソビエト連邦が解体されてからは、本来の目的を偽装する意味もあり、「赤(過激な共産主義運動)から緑(環境保護や反戦運動など)への転換」と呼ばれる大規模な転向現象が話題となったが、その後の日本では、かつての暴力的な新左翼と深い関係があり、尚且つ山岳ベース事件など凶悪事件に関わった勢力が、名前のみを変えて活動している場合がある。特に地方の私立大学には事件を起こしながら潜伏した組織が若い世代に親しまれる「横文字の組織名」に改名して内実をぼやかした上で学生などから構成員を集めているが、内部では過激派と同様の活動内容を行う団体も残っており、場合によっては破防法の適応対象となる事に留意が必要である。
思想[編集]
反スターリン主義、トロツキズム、毛沢東思想、アナキズムなど種々雑多な思想が見られる。ゲバラ、カストロ、ホー・チ・ミンらの第三世界革命論、フランクフルト学派の批判理論なども影響を与えた。
スターリン主義に対する批判から、初期マルクスの再評価や人間主義的なマルクス主義など疎外論が隆盛になった。特にヘルベルト・マルクーゼは1960年代に広く読まれ、「新左翼の父」と呼ばれた[4]。これらに対し、マルクスの疎外論からの断絶を強調したルイ・アルチュセールや廣松渉はポスト構造主義といわれる思想につながった。アントニオ・ネグリはアウトノミア運動の理論的指導者として知られている。
出典[編集]
- ↑ 「新左翼」百科事典マイペディア
- ↑ 「ニュー・レフト」日本大百科全書(ニッポニカ)
- ↑ 桑野弘隆「カウンターカルチャーとは何だったのか?」『立教アメリカン・スタディーズ』27巻、立教大学、2005年、79頁
- ↑ Douglas Kellner. "HERBERT MARCUSE". Illuminations: Kellner.
参考文献[編集]
- 伊藤公雄「カルチュラル・スタディーズが問いかけるもの」(PDF)『理論と方法』15巻1号、数理社会学会、2000年
- 柄谷行人、浅田彰、市田良彦、小倉利丸、崎山政毅『マルクスの現在』とっても便利出版部、1999年
- 高沢皓司、佐長史朗、松村良一編『戦後革命運動事典』新泉社、1985年