大橋周治
大橋 周治(おおはし しゅうじ、1915年9月15日 - 1995年11月10日)は、経済学者。新潟大学名誉教授。
経歴[編集]
東京市小石川区(現・東京都文京区)生まれ[1]。1933年東京高等師範附属中学校卒業。1936年松本高等学校文科乙類卒業。1940年東京帝国大学経済学部経済学科卒業。日本製鐵株式会社に入社、八幡製鉄所勤務。1941年依願退職。1942年再入社、中支総局(上海)勤務。1943年富山連隊に現役入隊。シンガポールで敗戦を迎える。1946年復員。日本製鐵本社調査課勤務。1948年日本製鉄労働組合連合会中央委員。1949-50年全国製鉄産業労働組合協議会議長。1950年6月に占領政策違反により米軍法廷にて重労働2年の刑を受け、7月に懲戒解雇、12月まで服役。1957年社会主義政治経済研究所の結成に参加。1959年経済分析研究会の結成に参加[2]。日本共産党の綱領論争で構造改革派の立場をとり、1961年の第8回党大会直前に春日庄次郎、佐藤昇、前野良らとともに除名された[3][4]。1966年新潟大学商業短期大学部教授。1977年産業考古学会を創立、常任理事。新潟産業考古学会会長。1978年ウィーン大学客員教授。1978-83年国際産業遺産保存委員会(TICCIH)日本代表。1980年新潟大学商業短期大学部を定年退職、新潟大学名誉教授。名城大学短期大学部教授。1982年新潟産業考古学会顧問。1987年産業考古学会顧問。1988年名城大学短期大学部を定年退職[2]。
鉄鋼新聞社編『鋼材の知識』(鉄鋼新聞社、1960年)、通商産業省編『商工政策史 第17巻 鉄鋼業』(商工政策史刊行会、1971年)の著者[2]。ダイヤモンド社編『鉄鋼』(ダイヤモンド社、1959年)、今井則義編『現代日本産業講座Ⅱ 各論Ⅰ 鉄鋼業 付非鉄金属鉱業』(岩波書店、1962年)、長洲一二編『日本の産業――変りゆく姿を展望する』(河出書房、1964年)、平和経済計画会議経済白書委員会編『国民の経済白書 昭和43年度』(日本評論社、1968年)、狭間源三編『現代日本産業論』(法律文化社、1973年)などに執筆。
著書[編集]
単著[編集]
- 『鉄鋼業』(東洋経済新報社[現代の産業]、1966年、新訂版1971年)
- 『幕末明治製鉄史』(アグネ、1975年)
- 『鉄の文明』(岩波書店[岩波グラフィックス]、1983年)
共著[編集]
編著[編集]
- 『現代日本産業発達史 Ⅳ 鉄鋼』(飯田賢一、黒岩俊郎共編、現代日本産業発達史研究会、発売:交詢社出版局、1969年)
- 『幕末明治製鉄論』(アグネ、1991年)
- 『戦時下学生の抵抗運動――東大を中心とした 一九三四~四五』(須田四郎共編、ウニタ書舗、1992年)