ペギー葉山
ペギー 葉山(ペギー はやま、1933年12月9日 - 2017年4月12日)は、日本の歌手、タレント。夫は俳優の根上淳。本名は森 繁子[1][2]。旧姓は小鷹狩 繁子。
概要[編集]
1933年に東京市四谷区(現東京都新宿区)で生まれる。4歳違いの3人姉妹の末っ子であった。小鷹狩(こたかり)家の先祖は、広島藩主の浅野家家老職を務めたことがある。父母ともクリスチャンであった。父母の賛美歌といとこのピアノが音感教育となる。青山学院中等部在学中に声楽を習う。青山学院女子高等部2年の時、映画「我が道を往く」のビング・クロスビーの歌に感動し、クラシックからポピュラー・ジャズに転向する。
青山学院女子高等部(現・青山学院高等部)を卒業し、終戦後は米軍キャンプでジャズ歌手として活動を始めた。進駐軍のキャンプでのライブをきっかけに、1952年に「ドミノ/火の接吻(Kiss of fire)」で歌手デビューする。1954年に「第5回NHK紅白歌合戦」に初出場し、「月光のチャペル」を歌う。1956年、ドリス・デイのヒット曲を日本語にした「ケ・セラ・セラ(Que Sera, Sera)」をリリースし、その年の「第7回NHK紅白歌合戦」に出場(3回目)する。
1959年、NHK高知放送局開局記念番組で、ご当地ソング「南国土佐を後にして」を歌って欲しいとの要望があった。中国に出兵した高知県の部隊が、望郷の思いを込め、戦地で作った歌であるが[3]、その民謡調に困惑して当初は依頼を断ったが、関係者の熱意により歌う決心をした。結果的に大ヒットし、レコードは100万枚を越える空前の大ヒットとなる[4]。「第10回NHK紅白歌合戦」に出場(6回目)する。この曲は「第40回NHK紅白歌合戦」(14回目の出場)でも歌われる。
1961年、ミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』の歌をペギー葉山が日本語作詞をつけた「ドレミのうた」をリリース。1964年、「学生時代」がロングセラーとなる。1965年、俳優の根上淳と結婚する。1968年に長男を出産。2007年、社団法人・日本歌手協会会長に就任した(2010年まで)。2014年に名誉会長に就任する。
人物[編集]
- 青山女子学院の卒業式のとき先生に呼ばれ、お説教と思ったら、「時々ラジオで歌っていたようですが、学業と両立してよく頑張った、これからも頑張ってください」と言われた[6]。
歌った曲[編集]
- ケ・セラ・セラ(ドリス・デイのカバー)
- 南国土佐を後にして/ドクトル・ジバンヌ(キングレコード、EB-164)- 200万枚を越す大ヒット。発売からほぼ1年で約100万枚を売る大ヒット[7]。第40師団歩兵第236連隊の歌のリメイク
- 学生時代/鏡(BS-144)
- 島原の子守唄 - もともとは島倉千代子が歌っていたものだがペギー葉山のカバーによって世に知られるようになった
- 大人とこども(原題はフランス語: L'Homme et l'Enfant)- エディ・コンスタンティーヌとタニア・コンスタンティーヌが歌った同名映画の主題歌のカバー。1962年当時同じキングの童謡歌手だった庄司淳と歌っていた。「大人と子供」とも表記される。原曲の歌詞は大人の男性と子供の対話だが、ペギー版はママと子供の対話になっている)
- ドレミのうた(『サウンド・オブ・ミュージック』より、日本語訳詞も自身の手によるもの。もともとは「大人とこども」のB面だが、A面をはるかに凌ぐ大ヒット。「ドレミの歌」「ドレミの唄」とも表記される。『みんなのうた』でも使われた)
- ドミノ(アンドレ・クラヴォーのカバー)
- かあさんの歌
- ウンパッパ(『オリバー!』より、『みんなのうた』でも使われた)
- ドミニク(スール・スーリールのカバー)
- ラ・ノビア(SS-19)- トニー・ダララ、コニー・フランシス等のカバー
- 算数チャチャチャ(『みんなのうた』)
- 町の小さな靴屋さん
- ラ・マンマ
- 琵琶湖周航の歌/二つの岸(1962年、日本ビクター、BS-653)- 加藤登紀子が吹き込んだ盤が有名だが、1962年にペギーもこの曲を吹込みヒットしている
- ブリデント
- 爪
- マンボ・イタリアーノ
- 我が心に歌えば
- 神様がくれた愛のみち(2007年)- 『歌手生活55周年記念曲』
- 夜明けのメロディー(2010年)-『ラジオ深夜便』の曲。39年ぶりにオリコンにチャートイン
- 結果生き上手(2012年)- 『歌手生活60周年記念曲』
- おもいでの岬(2016年)- 『ラジオ深夜便』の曲
- シング(カーペンターズのカバー曲)
- 白い風にのって/冒険コロボックル(冒険コロボックル)
アルバム[編集]
- ひらけ!ポンキッキ(1975年、SKM(H)2229)
- おたまじゃくしは元気な子
- 手のうた
- 星がルンラン
- 未来へつづくポンキッキ
- 恋歌・万葉の心を求めて
テレビ出演[編集]
- 歌はともだち(司会1974年~1977年)
- ひらけ!ポンキッキ(1973年~1988年)
- ウルトラマンタロウ(ウルトラの母/緑のおばさん(東光太郎の母親と二役))
- レディス4
- 徹子の部屋
- BS日本のうた
- 思い出のメロディー
- NHK歌謡コンサート
- 木曜8時のコンサート
- 一枚の写真
- ペンギンタイム
- なるほど!ザ・ワールド
吹き替え[編集]
- ママは太陽(ドリス・デイ)主題歌(ケ・セラ・セラ)も担当
- おしゃれスパイ危機連発(ドリス・デイ)
- ER緊急救命室(ローズマリー・クルーニー)歌も担当
CM[編集]
- 西宮酒造(現:日本盛) (1960年頃。日本盛のサイトで当時のCMをみることができる)
- フジマル工業・グリドル(ホットプレート) (1975年、根上淳と夫婦で共演)
- 日本アジア航空 (1982年、根上淳と夫婦で共演)
- 日立製作所 青空 洗濯機・乾燥機(1980年代前後)
著作[編集]
受賞[編集]
注とリファレンス[編集]
- ↑ 【自伝「ペギー葉山」】「今度こそ男子誕生」の祈りも虚しく私が生まれ
- ↑ Wikipedia日本語版では本名を「森シゲ子」とするが、間違いのようである。
- ↑ 望郷の歌「南国土佐を後にして」国際留学生協会
- ↑ 人物録 ペギー葉山NHK
- ↑ ペギー葉山さん死去産経新聞、2017年4月12日
- ↑ 273号 注目の人・歌手ペギー葉山さんWendy-net、MS Wendy
- ↑ 読売新聞社文化部『この歌この歌手〈上〉運命のドラマ120』社会思想社、1997年、61頁。ISBN 4390116010