フランク・シーラン

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フランク・シーラン英語:Frank Sheeran、本名:フランシス・ジョセフ・シーラン(Francis Joseph Sheeran)、1920年10月25日 - 2003年12月14日)、通称:アイリッシュマン(The Irishman)は、アイルランド系アメリカ人の労働組合幹部、ギャング。全米トラック運転手組合(チームスターズ)第326支部長。ブファリーノ・ファミリーアソシエイトマフィアのヒットマンだったとされる。チャールズ・ブラントの『アイリッシュマン』(原題:I Heard You Paint Houses、2004年)によると、1975年に失踪したジミー・ホッファ(全米トラック運転手組合会長)と1972年に射殺されたジョーイ・ギャロコロンボ・ファミリーのカポ)の殺害をブラントに告白したが、真偽が争われている。

経歴[編集]

ペンシルベニア州フィラデルフィアで敬虔なカトリック教徒のアイルランド人の父とスウェーデン人の母の間に生まれた。少年時代は父親に農作物を盗みに行かされたり、賭け事のダシに他の子供と殴り合いをさせられたりした。聖母マリア学校を8年で卒業し、ダービー・ハイスクールに9年生として入学したが、校長を殴って退学となった。第二次世界大戦では第45歩兵師団に配属され、イタリアフランスドイツで411日間に渡り戦闘任務に従事した。このときに無慈悲に人を殺すことを憶えたとみられ、またイタリア人女性をくどくためにイタリア語を覚えたことがマフィアと親交を深めることに役立った。

1947年にスーパーマーケット「フード・フェア」のトラック運転手となり、全米トラック運転手組合(チームスターズ)のフィラデルフィアの第107支部に加入した。1950年代にフィラデルフィアのバー「フレンドリー・ラウンジ」でトラック運転手仲間からオーナーのスキニー・レイザーを紹介され、バーで金貸しやノミ屋をやるようになった。1955年頃に保冷トラックで食肉を運んでいたとき、ニューヨーク州エンディコットでイタリア系の男がトラックの修理を手伝ってくれた。後にフィラデルフィアのレストラン「ヴィラ・デローマ」で以前トラックを修理してくれた男、ラッセル・ブファリーノ(ペンシルベニア北東部ファミリー、のちのブファリーノ・ファミリー)と再会して親密な関係になった。このときはブファリーノと彼と一緒にいたアンジェロ・ブルーノフィラデルフィア・ファミリー)がマフィアだということは知らなかった。1957年にブファリーノの頼みで彼をニューヨーク州アパラチンまで送り、翌日にアパラチンで会議のために集まったブファリーノら複数のマフィア幹部が逮捕されたことが報じられ、ブファリーノがマフィアの大物であること、スキニー・レイザーがブルーノのアンダーボスであることを知った。

50年代後半にブファリーノから全米トラック運転手組合会長のジミー・ホッファを紹介され、右腕かつ家族ぐるみで付き合う親友となった。ホッファは最初にシーランと話した電話で "I Heard You Paint Houses" (私はあなたが家にペンキを塗ると聞いた)と切り出したが、これはマフィアの隠語で「私はあなたが人を殺すと聞いた」という意味である。シーランはブファリーノの指示で1961年のピッグス湾事件に使われた武器や1963年のケネディ暗殺事件に使われたライフルの運搬、1972年4月にリトルイタリーのレストランで射殺されたジョーイ・ギャロコロンボ・ファミリーのカポ)や1975年7月にデトロイト近郊のレストランの駐車場で目撃されたのを最後に失踪したジミー・ホッファ、1978年3月にリトルイタリーの路上で射殺されたサルヴァトーレ・ブリガグリオジェノヴェーゼ・ファミリーのヒットマン)の殺害などを行ったとされる。ただしこれらの殺人がシーランの犯行であることは確実に証明されていない。

1966年に第107支部を3つの支部に分け、デラウェア州ウィルミントンにある第326支部の支部長となった。1967年に組合内の反対派との乱闘中に用心棒を射殺した容疑で逮捕されたが、4ヶ月後に保釈された(1972年に起訴されるも後に取り下げ)。拘留中に行われた支部長選挙に敗れたが、1970年に返り咲いた。1975年7月にホッファが失踪した。その6週間後、デトロイトで連邦大陪審が開かれ、シーランを含むホッファの拉致と殺害の第1容疑者9人(アントニー・プロヴェンツァーノスティーヴン・アンドレッタトマス・アンドレッタ、サルヴァトーレ・ブリガグリオ、ガブリエル・ブリガグリオ、フランク・シーラン、ラッセル・ブファリーノ、アントニー・ジアカローネチャッキー・オブライエン)が出廷した。全員が合衆国憲法修正第5条を主張し、この件では不起訴となったが、後に別件で起訴された[1]

1979年9月にRICO法違反で起訴された[2]。殺人2件と殺人未遂2件では無罪となったが、クレーン会社の経営者を暴行するよう命じた件、弾薬製造会社からダイナマイトを盗んだ件で合計14年の懲役刑を言い渡された[3]。1980年12月に労働組合搾取、謀議、郵便詐欺、賄賂を受け取った罪で連邦裁判所に起訴された[4]。運送会社にトラック運転手を派遣する会社を経営するユージーン・ボッファから賄賂として安く車を買い、見返りに基準以下の給与や従業員の解雇を黙認した件により[3]、1981年11月に18年の懲役刑と22,000ドルの罰金刑を言い渡された[5]。1991年に健康上の理由で早期に仮釈放された[6]。1995年に許可なくフィラデルフィアを離れたとして仮釈放違反で逮捕[7]、10ヶ月の懲役刑を言い渡され、同年10月に出所した[6]

シーランへのインタビューを基にしたチャールズ・ブラントによるノンフィクション作品『アイリッシュマン』(原題:I Heard You Paint Houses)の完成を見届けた後[8]、2003年12月14日に83歳で死去した。晩年は神父に懺悔をし、聖体を拝領していた[9]。2004年にブラントの『アイリッシュマン』が刊行され、ベストセラーとなった。同書に記されたジミー・ホッファとジョーイ・ギャロを殺害したというシーランの告白は真偽が争われている。2019年にブラントの本を原作とするマーティン・スコセッシ監督の映画『アイリッシュマン』が公開された。シーランをロバート・デ・ニーロ、ジミー・ホッファをアル・パチーノ、ラッセル・ブファリーノをジョー・ペシが演じた。

人物[編集]

  • ブファリーノ・ファミリーアソシエイト[10]。イタリア人ではないためメイドマンにはなれなかったが、ボスのブファリーノと親密になったため、メイドマンよりも上に置かれた[11]。ペンシルベニア犯罪委員会の1990年度の報告書によると、もとはフィラデルフィア・ファミリーのアソシエイトだったが、ボスのアンジェロ・ブルーノによってブファリーノに譲渡された[4]。シーランはマフィアの世界に入った頃について「アンジェロは自分がおれをラッセルに貸してやってると言っていたが、実際は逆だ。ラッセルのほうがおれをアンジェロに貸していたのだ」と述べている[12]チャールズ・ブラントによると、連邦検事ルディ・ジュリアーニが提起した民事RICO法訴訟の訴状に記載された26人からなるラ・コーザ・ノストラコミッションのうち2人しかいない非イタリア人の1人だった[13]。ただし組織犯罪研究者のAndy Petepieceによると、ブラントは訴状を誤読している。訴状はチームスターズ、ラ・コーザ・ノストラのコミッション、そしてコミッションのメンバーもそうでない人物も含む多数の個人に対して出されたものであり、訴状に記載された個人名はコミッションのメンバーを列挙したものではない。またイタリア系でなければラ・コーザ・ノストラの正式なメンバーになれず、ラ・コーザ・ノストラのメンバーでなければコミッションのメンバーになれないので、シーランがこの役職に就くことはできない[14]
  • ジョー・バイデンを郡議会議員だったときから支持していた。1972年の上院議員選挙の直前に民主党のある大物弁護士から依頼され、共和党の現職ケイレブ・ボグズによるバイデンに不利な折込広告が出回るのを防ぐため新聞社にピケを張るのを手伝い、バイデン当選に一役買ったといわれている[15][16]。ただし当時の新聞報道とシーランの証言には新聞の印刷状況やピケの解除日に矛盾がある[17]。『ポリティコ』の記者ベン・シュレキンガーの著書『The Bidens: Inside the First Family's Fifty-year Rise to Power』(Little, Brown and Company、2021年)によると、ジョー・バイデンの妻ジルの元夫ビル・スティーブンソンはシーランにピケ資金として3,000ドルを渡したと語っている[17]
  • チャールズ・ブラントとは、1981年に労働搾取の罪をめぐる裁判でブラントを代理人に雇ったことで接点が生じた。1991年に健康上の理由で仮釈放を申請する際に再びブラントを雇った。同年にブラントはシーランへのインタビューを開始したが、2回目以降のインタビューは拒否された。約8年後の1999年3月にシーランからの連絡でインタビューが再開され、シーランが死去する2003年12月まで約5年間続いた[18]。この間の2000年10月にホッファ殺害を告白した[19]
  • カンガルーとボクシングをしたことがある[20]
  • 身長193㎝。1991年の出所後は183㎝[21]
  • 2度結婚し、4人の娘がいた。

出典[編集]

  1. チャールズ・ブラント著、高橋知子訳『アイリッシュマン 下』ハヤカワ文庫NF、2019年、126-127頁
  2. 『アイリッシュマン 下』140頁
  3. a b 『アイリッシュマン 下』144-147頁
  4. a b Organized Crime in Pennsylvania: A Decade of Change, 1990 ReportPDF”. Pennsylvania Crime Commission (1991年4月). 2022年8月1日確認。
  5. Pennsylvania Crime Commission - Annual Report, 1981PDF”. Pennsylvania Crime Commission (1981年4月). 2022年8月1日確認。
  6. a b 『アイリッシュマン 下』151-152頁
  7. 『アイリッシュマン 下』274頁
  8. 『アイリッシュマン 下』165-166頁
  9. チャールズ・ブラント著、高橋知子訳『アイリッシュマン 上』ハヤカワ文庫NF、2019年、29頁
  10. 『アイリッシュマン 上』166頁
  11. 『アイリッシュマン 上』142頁
  12. 『アイリッシュマン 上』169頁
  13. 『アイリッシュマン 上』7、30頁
  14. Mobology scholar Andy Petepiece's review of I Heard You Paint Houses by Charles Brandt July 25, 2004 MOLDEA.COM
  15. 『アイリッシュマン 下』64-67頁
  16. Frank Sheeran & Joe Biden: What The Irishman Said About Him Heavy、2019年11月30日
  17. a b EXCLUSIVE: Jill Biden's ex-husband paid hitman Frank 'The Irishman' Sheeran $3K to set up a strike and stop the delivery of Delaware newspapers with anti-Biden ads before Joe's shock 1972 Senate win, book claims Daily Mail、2021年9月10日
  18. 『アイリッシュマン 下』220-222頁
  19. 『アイリッシュマン 下』252頁
  20. 『アイリッシュマン』のオフィスに飾られているカンガルーの写真の意味 エキサイトニュース、2019年12月19日
  21. 『アイリッシュマン 下』148頁

参考文献[編集]